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矜持ーつづき

カーテン (640x480)カーテン


「矜持」のつづき:オリンピックを出汁に。

  「矜持」を英語にどう訳すのか。プライド?でしょうか。オリンピックのような出来事があると、良くも悪くも、すべてのことが大きく見えやすくなるものです。まず、自分のオリンピックに対する立場ですが、オリンピックに反対です。(非国民―という声が聞こえてきそう)大規模すぎる、というのがその理由です。国立競技場の建設でも問題がありました。いちいち反対していたら、大規模なイベントができないよ、という声もありましょう。しかし、この時の予算超過はすごかったですね。270億円。しかし、しかし、お金は安ければいい、という意見でもありません。(-ややこしいなー賛成なのか反対なのか、どっちなんだよ、と言われそう)観点はデザインと矜持です。ザイード氏のデザインした競技場を擁護する意見もありました。デザインは素晴らしい。問題は、予算を膨らませてしまった無責任体制にある、というものです。デザインの話しには、責任はつきものです。
「デザイン」という言葉の曖昧さ。日本側の審査員にいた安藤忠雄氏にしても、自分の専門として、いいデザインだと思ったから推した、わけで。でもそんなに予算が膨らむ責任まではとれない、という言い分でしょう。
  同じような話で、エンブレムにまつわる盗用問題もありました。ベルギーのデザイナーの作品に酷似しているという話で、佐野氏のデザインがあっさり、却下されてしまった。
いいデザインだと思ったんですが・・(個人的感想)この場合、問題なのは大会組織委員会の態度です。同じような話がロンドンオリンピックの時にもあったそうですね。その時、ロンドンの大会組織委員会は一般からの不評を受けて、「ダイナミックでモダンなおかつフレキシブル。最新テクノロジーと古い伝統が交差する現代のイギリスのイメージ」と説明しました。「すべての人の趣味に合わせることはできない。でも、このロゴはフレキシブルで、5年の間でさらに進化していく。2012年までには、このロゴへの親しみが増し、より多くの若者を取り込む有効なブランドになる」と言葉を付け加えました。
  ちゃんと、募集のときにコンセプトを説明できること。そのコンセプトにあった応募作品なら、そして、その中で一番いいなら、一般から不評でも、きちんと説明し返すことができる。-これが、デザイン大国の矜持だと思うのです。
  一方、日本組織委員会の態度は「問題がおこった。不祥事だ。うーん一般の声に抗し切れない。白紙に戻して(便利な言葉) 一般から公募だ」ということで、子供に選ばせるような態度をとるのです。一般(って誰?)もそれでいいってわけ。
  日本でオリンピックのような、大規模・グローバルな大会は、開くには100年早い、と言わざるを得ません。もしくは、日本人は日本人サイズの矜持を(小規模な)持とうよ。
(「日本人」は誰か、という話はまた別)というわけで、私はささやかな矜持を目指します。
―続く

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SFは面白い?絶望?

の色冬 (640x478)
冬の色

   SF(Science Fiction)では、タイムマシンにのって、過去の誰かに会いに行ったり(未来の自分に会いにいったり)しますが、「過去の誰か」しか居ませんね。何が云いたいか、というと、前回のSFの話しで、出てきた映画で検証しますと、①「2001年宇宙の旅」では、次元を超えた主人公は、未来(?)で、自分に出あいます。自分の誕生の姿ですから、やはり過去です。 ②惑星ソラリス-では、自分の一番思い出したくない、おぞましい過去を幽体として出現させ、結果、「自己とはなにか」「人間とはなにか」という哲学的問いを発します。しかし、ともかく、惑星ソラリスまで出向いて、結局出会うのは、自分の記憶です。エンディングでは、主人公が父親の住む家を訪ねます-実はこれも、ソラリスの記憶の海に浮かぶ島なのですが―小説にはない場面で、映画監督のタルコフスキーの演出には異論もあったそうですが。③先日、TVで久しぶりに「コンタクト」(カール・セーガン原作 ロバートゼメッキス監督)を見ました。ジョディ―フォスター演じる主人公が、異星人の云う通りにつくった宇宙船に乗って(座って)行った先で出会うのは、懐かしい亡くなった父親。(これは、異星人の借りの姿なのですが。異星人の姿のままでは、ジョディ―が腰を抜かしてしまうか、はたまた、そもそも、見えないか)④ブレードランナーでは、もちろん出演するアンドロイドは人間が演じています。

  つまり、人間がつくる小説であり、映画である限り、人間の姿以外のものは、想像できないのは当たり前の話。 いや、姿なんてどうでもいい、タコみたいな異星人がでてくるなんて3流のSFの証拠やないか。というわけで、姿なき自己や記憶、人間という実存をテーマにしたとしても、私たち人間は、人間という自分から離れて、客観的に自分を見ることはできないのです。絶対に無理! “Know Yourself ”と言ったソクラテスは永遠に正しい。しかして、人間は決して自己を知り得ない、絶望。「宇宙には夢がある」とか子供に言いますが、本当?と思います。


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制服考 ②

歩道橋からみた夕日
歩道橋から見た夕日:特別な日

「揃う」と「揃わない」

 この、私が「制服」の意義を強調しなければならない羽目になった。つい、この間「制服考」をこのブログに書いたばかしだというのに。人生皮肉であるが、私は、どんな仕事もひょいひょいと引き受ける主義だ。(懐が深いウーン)ただし、倫理に反しなければ、あるいは、権力への忖度でなければ。
 「制服」って権力への忖度でしょう、と言われますか?「忖度」で着ている人はいません。
着ないと、罰せられるからで、制服が嫌な人は、その制服の枠外に居ればよい。アウトローですね。その範囲が、昨今、段々、狭められている感じがするので、私ら、反抗世代は、世の中、居場所がなくなるような、嫌な感じがするのです。基本「揃いたくない」
 「踊り」について、橋本治さんが「知性の転覆」(朝日新書)という本の中で、秀逸な例を出されています。(この本の中で、橋本さんの自分の位置づけは、ものすごく、自意識過剰なので、そこへの感想は別項として)「踊り」の例を引用させていただくならば、「阿波踊りがあまりに整然と『揃いすぎて』いる」と述べています。「そこには、『個』を消して『全体の美』を作り上げるという主張があるようにみえる」と。もちろん、整列ならば、北朝鮮の軍隊や、かつてのナチスの行進に、枚挙の例がないですが、「踊り」は行進じゃないだろう、と思う訳です。同じような、嫌な感じを、私は「YOSAKOIソーラン踊り」にみます。また、近年の、TVでのヒップホップ系のグループの踊りも「整然ではない」ようですが、今度は、筋肉体操にしか見えない、という問題があります。(およそ、芸術とは程遠い)
  逆に、黒人の人達のゴスペル合唱団などは、同じ動きを、それぞれが主張しながら歌う
(という感じわかるでしょ)ので、パワフルで、美しいのです。揃っていながら、個が埋没していない。同じような例で、橋本さんは、日本の古典芸能を挙げています。「三味線、鼓,
謡、笙、篳篥(ひちりき)などが指揮者もなく、戦いのように自分を主張することで、そこに、なんと『美』が生じる」という。洋の東西を問わず、また新旧を問わず、「揃えばいい」「揃ってないからダメだ」ではなく、そこが差です。
  さて、「制服」ですが、(着るなら)揃って着てこそ「きれい」。でも、個性は主張してほしい。-「着くずし」ではなく、きちんと意見で。

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最近の新聞

 絵

  最近の新聞の論評は昔の社説とちがう。昔の社説は、誰が誰に行っているものかわからず、内容も八方美人だった。なので
自分の論を磨くのに、高校の教師が、「新聞の社説を要約しなさい」などと言っていることが理解できなかった。(ついでに「天声人語」を書き写したりするのも嫌い)  
   しかし、最近の、特に女性記者、いいですね― 誰に忖度するでもなく。今回は、私が書くより、読んでください。勝手転載します。 内容はちょっと前の、衆議院の解散についてですが・・・

(政治断簡)負け犬?上等じゃないの 編集委員・高橋純子
http://www.asahi.com/articles/DA3S13182125.html
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実はSF好きです

きのこ 宇宙船?きのこ


     実は、SF好きです。SFと言うと、すぐに帰ってくる反応が「スターウォーズ?」ですが、「スターウォーズ」とくに映画のそれは、あまり好きではありません(と言っても、第一作は、見に行きました。1977年)それはそれで、びっくりしました。映像の美しさに。(CGではなくSFXなんですって)でも、その前のSFというか奇想天外フィルムでは、人間が縫いぐるみを着て暴れる、というイメージ、思い出しかありませんでしたから。しかし、スターウォーズのストーリーは、やはり、奇想天外ものというか、古めかしい西部活劇だったので、これにもびっくりした思い出しかありません。以来、ハリーポッターシリーズとか、(SFではないですね)ロードオブザリングとか見ませんし、CGと合成の白雪姫にいたっては、童話ですもんね。そうそう、小説なのか映画なのか、の話しがごっちゃになってますね。映画の出来は別の話しにしましょう。小説で。では、スターウォーズの原作はSFか、と問われれば・・・私に言わせれば、SFではありません。
    SFというのは、基本的科学の法則は変えずに、起こりうる仮説を書いたものであって、そういう意味では、科学の仮説はすべてSFと言い換えてもよいのでは。ではfiction部分 はなんなんだ。「作り物」あるいは想像の産物が入っていないでSFか、という反論がおこるかな。それについてはこう思っています。仮説と呼ばれるものは、実は、その仮説を出すにあたって、その仮定は実験され、検証されてはじめて、仮説として提出されている。一方SFは、仮説が壮大すぎて検証が難しい、もしくは何万年何十万年かのスケールでおこるかもしれないこと(壮大と同じことか)はたまた、あるいは、真逆で、99%起こりうることを指す、と考えます。   好きな作品を以下に列挙。
  ・「2001年宇宙の旅 監督:スタンリー・キューブリック 原作:アーサー・C・クラーク」有名すぎるくらい有名だが、一応ここから。これは原作も映画もコンセプトはほぼ一致しているといってもよい。
  「科学知識が進歩するにつれ、遅かれ早 かれ生物は、自然が与えたもうた肉体という住家から逃れでるだろう。ひよわで、病気や事故に絶えず付きま とわれ、ついには避けられない死へと導く肉体など無いほうが良い。自然の肉体が擦り切れたら――いやそれ どころか、擦り切れないうちに――金属やプラスチックの部品と取替え、そうして不死を勝ち取るのだ。 しかし脳は有機組織の名残として、しばらくは留まることになるかもしれない。機械の四肢を操り、あるいは 電子の五感――盲目的な進化では到底得られない鋭い微妙な感覚――を使って宇宙の観察を続けるだろう。 地球ですらその方向に何歩か進み始めているのだ。長生きできないと宣告された何百万もの人が、人工の手足、 人工肝臓、人口肺、人工心臓のおかげで、いま幸福で活動的な暮らしをしている。この方向に行きつく先は一 つしかない。――たとえそれが常軌を逸したものであろうと。最後には脳さえ消えて行くだろう。意識の着床 する場として脳は必須のものではない。そのことは電子知性の発達が証明している。精神と機械の対立は、や がて完全な共生という永遠の妥協で終わるかもしれない…。だがそれが終局だろうか?(中略)ロボット身体も 血と身体と同様に単なる踏み石であって、やがて人々が精霊と呼んだものに至るかもしれない。 そして、そのまた向こうに何かあるとすれば・・・」
しかし、アーサーCクラークとキューブリックとの間でも、その先についての意見は一致したとは限らない。2001年いや2017年の現在、私たちは、機械とも生物ともつかない、スマホ人間と化した。
  ・「惑星ソラリス 監督:アンドレイ・タルコフスキー 原作:スタニスワフ・レム ソラリスの陽のもとに」
  これも超有名で済みません。これこそ、宇宙空間の映像もあまりない、SF映像を求める向きには不向きなSF。 哲学的・実存的困難に陥る人間をテーマにしている。惑星ソラリスは有機体で、そこに近づく宇宙船には怪奇現象がおこる。それは「自分」の潜在意識が形になって立ち上がっていたのだった。
  ・GATTACA (1997年 監督:アンドリュー・ニコル 
   G・A・T・CはDNAの基本塩基。 近未来では遺伝子操作によって、人間は「適正者」と「不適正者」に分別され、将来の仕事も決められている。というのだが、今2017年現在、生殖ビジネスがすでに真っ盛り、デザイナーベイビーが望まれ、そして日本では「進路」という名で、自分の将来が決められている。SFは近い将来を予見する。
   ・「星を継ぐもの」(ジェイムズ・P・ホーガン1977年上梓)
こちらは、微妙。下手をすると、スターウォーズのような宇宙船が飛び交うような、でも映画には最適なSFに陥る可能性あり、でもぎりぎり踏みとどめているのは、現在の科学上の謎から出発した(ミッシングリンク、小惑星帯、月の裏表、人類の起源など)科学上の大胆な仮説が面白い。
   ・「あなたの人生の物語」(テッド・チャン2000年 日本では砲台「メッセージ」として2017年映画公開)
異星人とのコンタクトはSFの定番ではあるが、この小説では、その異星人の姿形は問題とされないし、ましてやその異星人とドンドンパチパチ闘ったりしない。問題はコンタクトをどうとるか、その異星人が使う言語とは。人間の使用する言語とは発話形式も書法も認識の仕方も違う。そもそも時制の概念が違う。時制がない世界を理解しなければならない。数学と物理の謎をとく世界もSFなのだ。(もちろん、私には解けないが) 小説の時制が、不思議。主人公が娘を身ごもっているときには、その娘の一生がわかっているので、未来形で「こうーなるでしょう」という書き方になる。映画化は無理だ、と言われていたが、「誠実」なレベルであるという評判。
   ・で「ブレードランナー」(フィリップ・K・ディップ原作 「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」 映画公開1982年監督リドリー・スコット)
     映画のストーリーは、メロドラマ風であるが、映像美(?)が新宿歌舞伎町であることと、絶えず酸性雨が降り続く都会というリアルな設定につきる映画。「メイキング・オブ・デンジャラス・デイズ」によれば、製作費を切り詰めるためセットの使いまわしがばれないよう暗くした、らしい。(笑)

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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

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