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政治の問題にしたい

ヤマボウシ (480x640)
M家のヤマボウシ

   「炎上しても言う『新幹線死傷、虐待殺人の容疑者らの生い立ちが知りたい』」という記事をネットで読みました。カンニング竹山という方が、「炎上する」覚悟で本音を書いたのでしょう。こんな程度で「炎上」ってするものなのか、よく知りませんが、この方の言わんとすることはよくわかります。この方は、「もどかしい、原因を知りたい」と思っているのです。そして「家庭環境が原因なら」本当に、「犯人が育った家庭環境をなんとかしたい」と思っているようです。だから、そういう子供の(候補者)がいたら自分が育ててもいい、とさえ言っているのです。あまりにナイーブで「炎上」する理由はないように思います。

 私は「無理」だと思います。子供を「育て直し」することもできないし、「そういう家庭環境」を無くすこともできない、と思います。
 もう一つ、6月20日配信の、同じ事件(6月9日 新幹線での無差別殺傷事件)を受けて、こちらは精神科医の片田さんという方の、犯人の心理分析です。「無差別殺人を考える際は、彼らにとってそれが一種の自殺であるという点を理解することが重要です」と述べています。他殺願望→自殺願望が逆転して自殺願望→他殺願望、になることもある。復讐願望が強いと、そしてその人に復讐できないと無差別殺人になることがある、と。

   こちらは学説らしく、私も納得するような、そして、こういうパターンの事件が増えていることも事実のような、気がします。でも、「親に復讐したい」←「家庭環境が悪い家庭が多い」←「では、俺が(竹山さんのような面倒見のいい方が)面倒みてやる」で、解決するのかは極めて疑問です。「家庭環境」や「殺したい(と子が思う)親」というのは
どういう「環境」「親」かは、なかなか決め難く、確かに、竹山さんは、「身近のAV嬢何人かに聞きました」を学者のように、実践して、かなりな確証をつかんだようではあります。私も、自分の育った周りの環境を見渡して、竹山さんと同じくらいの心証を得てはいます。
   悲惨な家族を多く目にします。「悲惨」の意味は、まず、貧しくて(親の代から、またその親の代からか)教育意識が低く(高すぎる場合も稀に)家族に病気の人が居て(自分の場合も)それが再生産されるような家庭です。新幹線殺傷事件の容疑者も「生きていて何もいいことがない」と言っています。胸がつぶされるような思いです。

    (ここからが、炎上です)不幸にも殺された方がいました。彼の行為は立派です(本当に)でも、みんなが「立派」と思ってくれます。立派な肩書、高徳な性質、幸せな家庭-突然に殺されることは理不尽ではありますが、死はたいてい理不尽です。「あんな」容疑者に殺されることこそが理不尽です。高徳な人が高徳な人に殺されることは少ないです。でも、この差がもう少し、小さくあったら、と思います。まず、経済格差です。つぎに教育格差です。病気などの弱者の救済策も要ります。すなわち、社会のありようを考える、そういう政治家がもっといたらな―と思います。


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民主主義の危機

労作 (478x640)
労作(作者不明)

民主主義の危機

 朝日新聞に「異論のススメ」という欄がある。これを私はとても、楽しみにしている。
何故かと言うと、この筆者 佐伯啓思という方は(お名前が素晴らしいーという個人的感想は別として)保守派らしく、朝日が少し左だとしたら、朝日は敢えて異論を自分の紙に載せようという意欲的な取り組みだと思えるし、私も日常的に、自分の述べたことに正当に反論してくれる人をいつも求めているにもかかわらず、なかなか、意見というものを言ってくれる人が居ず、いつも欲求不満だからである。そして、大体、いつも、この佐伯さんという方の意見には「なるほど」と思える部分もあり、ということは、私個人の考えも、少しは深まったといえるからである。正当な異論には感謝である。
  さて、4月6日の、この欄は、結論から言えば、あまりに立場の異なる意見で驚いた。
佐伯氏はこういうのである。「昨年からこの方、国会、メディアで論じられた話題は森友加計問題一色である。両者は今日の日本を揺るがすそれほどの大問題だったのか、と私など皮肉交じりにつぶやきたくなる」「多くのメディアも識者も、官僚行政が政治によって(特に首相の私的事情によって)歪められた(であろう)ことは民主主義の破壊だ、と言っている。だが、私には、この構造そのものが大衆化した民主政治そのものの姿に見える」と。
  つまり、佐伯氏の考えでは、政治とは、外交や金融や経済など極めて専門的な課題を
政治家や高級官僚やブレーン(どんなブレーンか線引きはきわめて曖昧)といった人達(The best and the brightest)が、密室で(時には料亭で)高度(?)な会話を交わしつつ政策を決めていくもので、国会は、根回し後の承認の場であると。そこにあれこれ雑音をはさんでくる無知な国民や、その国民の代表面をしたメディアが口を挟むようなことをしたら、高度(?)な判断が狂わされ、ひいては、日本の国益(誰の?)が損なわれる。-というような政治観なのかな、と読み取れた。
  確かに、事の大小をわきまえず、百年の計をもつ、国を憂える大物の女性スキャンダルをキャンキャン云いたて、(セクハラや妾問題についてではなく)SNSなど匿名の抗議で引きずり下ろすなどの、大衆民主政治の弊害は、私も感じるところがある。衆愚政治は重々感じている。-それが、まさに、安倍首相の独裁を生んでいるわけだから。
  そう、「独裁」なんですよ。歴史を見渡しても、あきらかに、ひどい「独裁」でしょ。佐伯氏も、メディアのその部分は読み取っていらっしゃる。-(特に、首相の私的事情によって)歪められた云々-独裁政権の場合、その首相の資質や交代を要求しないで、他に、なんの優先事項があるのでしょう。TPP(?)へ!

  衆愚であっても、民主主義を選択した私たち、は衆知見をもって、政権を交代しなければならないのです。-当たり前のことじゃん。 政権交代後は、速やかに、佐伯氏も言うところの喫緊の課題・問題に取り組むべくビジョン・政策を常に考えておかねばならないことも当然である。
   実は、朝日新聞は、佐伯氏の文の10日後に、素敵な反論を掲載しています。
        4月16日付政治断簡「畑作は土から 寝言は寝てから」高橋純子
              いつもながら、スカッとしますなー

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岩手県大好き

こぶし (478x640)
1本の木にモクレンとこぶし

なぜ、岩手県には原発がないのか― 一人の保健婦さんの活動

 「吾が住み処ここより外になし」(著者:岩見ヒサ)という本が手元にある。岩手県
田野畑村元開拓保健婦さんの人生を自ら綴った一冊です。ここには、大正生まれの女性の
人生の一般的な道(今でいうキャリアウーマンだが、そんなカッコいいものではなく)
と、自分の道をたどることで、おのずとわかってくる「健康観」「環境と人間」「家庭」
そして「原発など巨大資本が、環境を壊し、健康を蝕み、そして、ついには、人間が住めない土地を生み出してしまう悪徳」であることを、日常の活動から明らかにする記録が詰まっています。この本が一冊あれば、今の政治や国民の置かれた状況が、素朴にわかる。
「・・土地を売り渡し大金を手にした六ケ所村の人たちは現在、幸せな生活を送っているのだろうか?」(本書P127)と彼女は案じている。この本が書かれた2015年―決して六ケ所村の人を非難しているのではない、本当に案じているのです。
 彼女の(この本の)たどった道については、岩手県の方で、「ゾウさんと暮らす」というタイトルで書かれている女性の方のブログ、2013年3月に、詳しく、正しく書かれています。ご参照ください。

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矜持ーつづき

カーテン (640x480)カーテン


「矜持」のつづき:オリンピックを出汁に。

  「矜持」を英語にどう訳すのか。プライド?でしょうか。オリンピックのような出来事があると、良くも悪くも、すべてのことが大きく見えやすくなるものです。まず、自分のオリンピックに対する立場ですが、オリンピックに反対です。(非国民―という声が聞こえてきそう)大規模すぎる、というのがその理由です。国立競技場の建設でも問題がありました。いちいち反対していたら、大規模なイベントができないよ、という声もありましょう。しかし、この時の予算超過はすごかったですね。270億円。しかし、しかし、お金は安ければいい、という意見でもありません。(-ややこしいなー賛成なのか反対なのか、どっちなんだよ、と言われそう)観点はデザインと矜持です。ザイード氏のデザインした競技場を擁護する意見もありました。デザインは素晴らしい。問題は、予算を膨らませてしまった無責任体制にある、というものです。デザインの話しには、責任はつきものです。
「デザイン」という言葉の曖昧さ。日本側の審査員にいた安藤忠雄氏にしても、自分の専門として、いいデザインだと思ったから推した、わけで。でもそんなに予算が膨らむ責任まではとれない、という言い分でしょう。
  同じような話で、エンブレムにまつわる盗用問題もありました。ベルギーのデザイナーの作品に酷似しているという話で、佐野氏のデザインがあっさり、却下されてしまった。
いいデザインだと思ったんですが・・(個人的感想)この場合、問題なのは大会組織委員会の態度です。同じような話がロンドンオリンピックの時にもあったそうですね。その時、ロンドンの大会組織委員会は一般からの不評を受けて、「ダイナミックでモダンなおかつフレキシブル。最新テクノロジーと古い伝統が交差する現代のイギリスのイメージ」と説明しました。「すべての人の趣味に合わせることはできない。でも、このロゴはフレキシブルで、5年の間でさらに進化していく。2012年までには、このロゴへの親しみが増し、より多くの若者を取り込む有効なブランドになる」と言葉を付け加えました。
  ちゃんと、募集のときにコンセプトを説明できること。そのコンセプトにあった応募作品なら、そして、その中で一番いいなら、一般から不評でも、きちんと説明し返すことができる。-これが、デザイン大国の矜持だと思うのです。
  一方、日本組織委員会の態度は「問題がおこった。不祥事だ。うーん一般の声に抗し切れない。白紙に戻して(便利な言葉) 一般から公募だ」ということで、子供に選ばせるような態度をとるのです。一般(って誰?)もそれでいいってわけ。
  日本でオリンピックのような、大規模・グローバルな大会は、開くには100年早い、と言わざるを得ません。もしくは、日本人は日本人サイズの矜持を(小規模な)持とうよ。
(「日本人」は誰か、という話はまた別)というわけで、私はささやかな矜持を目指します。
―続く

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SFは面白い?絶望?

の色冬 (640x478)
冬の色

   SF(Science Fiction)では、タイムマシンにのって、過去の誰かに会いに行ったり(未来の自分に会いにいったり)しますが、「過去の誰か」しか居ませんね。何が云いたいか、というと、前回のSFの話しで、出てきた映画で検証しますと、①「2001年宇宙の旅」では、次元を超えた主人公は、未来(?)で、自分に出あいます。自分の誕生の姿ですから、やはり過去です。 ②惑星ソラリス-では、自分の一番思い出したくない、おぞましい過去を幽体として出現させ、結果、「自己とはなにか」「人間とはなにか」という哲学的問いを発します。しかし、ともかく、惑星ソラリスまで出向いて、結局出会うのは、自分の記憶です。エンディングでは、主人公が父親の住む家を訪ねます-実はこれも、ソラリスの記憶の海に浮かぶ島なのですが―小説にはない場面で、映画監督のタルコフスキーの演出には異論もあったそうですが。③先日、TVで久しぶりに「コンタクト」(カール・セーガン原作 ロバートゼメッキス監督)を見ました。ジョディ―フォスター演じる主人公が、異星人の云う通りにつくった宇宙船に乗って(座って)行った先で出会うのは、懐かしい亡くなった父親。(これは、異星人の借りの姿なのですが。異星人の姿のままでは、ジョディ―が腰を抜かしてしまうか、はたまた、そもそも、見えないか)④ブレードランナーでは、もちろん出演するアンドロイドは人間が演じています。

  つまり、人間がつくる小説であり、映画である限り、人間の姿以外のものは、想像できないのは当たり前の話。 いや、姿なんてどうでもいい、タコみたいな異星人がでてくるなんて3流のSFの証拠やないか。というわけで、姿なき自己や記憶、人間という実存をテーマにしたとしても、私たち人間は、人間という自分から離れて、客観的に自分を見ることはできないのです。絶対に無理! “Know Yourself ”と言ったソクラテスは永遠に正しい。しかして、人間は決して自己を知り得ない、絶望。「宇宙には夢がある」とか子供に言いますが、本当?と思います。


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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

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