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古くて新しい大村はまさん第三回

雲

写真:,,,

古くて、新しい大村はまさん
第三回
 そこで、原点に返って、考えてみたいのです。ここに、ほぼ50年間の授業を、毎回工夫した、といわれている大村はまさんという方の本があります。シニアの方はご存じでしょう。(共文社 「教えるということ」)
1928年から1980年の間、中学と高校で国語の教師をしていた方です。彼女の言葉は著作も多いですから、その本を直接読めばわかるのですが、その姿勢に敬愛の念を抱かざるをえません。彼女は生徒に阿ることをしません。「好かれる教師になるな」と言います。好かれれば、とても心地よく感じるかもしれませんが、それは素人の教師であると。国語の授業であれば、私たちは「ああ、読んで、書いている授業だな」くらいに思い、せいぜい、材料の文をどこから持ってくるか、名文を与えよう、などと思いますが、そうではなく、彼女には技法があります。
たとえば、ただ「黙読しなさい」をせず、読んでいるときの生徒の唇をみます。実は、読むことそのものに、あまり意義を見出しません。たしかに上手に読める、漢字がよめる、ことはわかります。でも、それだけでおしまい。唇は動いていてはいけないのです。文が頭に、心に、深く入ってくるとき、唇はうごかないでしょう。黙読しているときの、かすかな唇の動きを見てとり、そこでストップをかけてやらないと、その子は一生、本が読めない子供になってしまい、取り返しがつかないことをしてしまう、とまで責任を感じています。
作文は――と言っただけで、私を含め多くの人が、苦痛を思いだすのではないでしょうか。-あの夏休みの読書感想文!!-それは(大村さんに言わせれば)やはり拷問だったのです。白紙の原稿用紙を前にして一字も書けない子供をそのままにしておく残酷さ、無責任さ。オーサービジットの時間なら、もちろんこんなことは、起こらないよう、たいていはチームワークで乗り切らせます。けれど、大村さん、あるいは普段の教師は、子供一人一人に力をつけてやらねばならないのです。毎回、お祭りというわけにはいきません。
どうするのか、先生の工夫で(それはフリップではなく)書かせる。書くということは心に書きたいことが浮かんでくることなのです。心を動かさないと、書くことがあるはずがありません。そこで、大村さんはまず、「読んで」あげるのです。読む材料の選び方が大事です。生徒が、「次はどうなっちゃうんだろう」と思う、適切な場面で切ります。そこで生徒に考えさせます。また読みます。また切って考えさせます。そうやって、最後の感動にまでたどり着くのです。自分の頭の中には、「考えた」軌跡ができます。それから、書きます。また、生きた授業として、京都のお寺さんの観光ガイドさん(やお坊さん)の解説を帰ってから解説します。つまらない説教のような話、笑いをとるお坊さん、いろいろな例をだして、「面白ければいい」ではなく「物をみる視点がなくてはいけない」というところにまでたどり着かせるのです。(先生が自覚した、ということではなく生徒にそれをわからせるのです)私は感心しました。工夫の仕方にも視点がなくてはいけない、と思うのです。

 ここまで来て、「教える」にも場面や相手で違いがある、ことに気付きました。
TV番組や予備校は ”instruct” でよいので、フリップなのどの工夫が有効-考えさせる必要はないわけです。答えを覚えればよい。面白可笑しければ、なおよい。(私は、それにも、ちょっとひっかかるんですが)小中学校は当たり前ですが「教育」でなくてはならない、ということです。問題は、世間がそれをごっちゃにして、面白ければ「いい」先生、それ以外は「つまらない」としてしまったことです。なにより、親がそう思ってしまったことです。一見「つまらなくても」視点がある先生を、親自身が尊敬しなければ、先生を生徒が尊敬することなどありえないのです。もちろん、「尊敬」とは単に、好かれることではなく、子供が、人生も後になって、「ああ、あの時教えられたことが・・」と思えば、それで十分なのです。

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古くて新しい大村はまさん第二回

gojira2 (478x640)
写真:ゴジラと名付けた木

古くて、新しい大村はまさん
第二回
 オーサービジット:朝日新聞主催のものだけをそう呼ぶのか、わかりませんが、各界
著名人が母校に行って授業をするらしい。いつから始まったのか、アメリカのTVドラマなどを見ていると、大統領が大学で講演するのは当然だとして(なぜなら、大統領は演説するものだから)宇宙飛行士などが、やはり母校の高校へいって成功体験を語ったりする場面が出てきます。郷土の誇りという感じです。でも、だんだんその著名度が下ってきて、現在、日本で多いのは、本の著者や絵本の作者、スポーツ選手。本の著者は、自作や適切な本のあらすじや一部を読んで「さて、主人公はここからどういう展開をとるだろう。ストーリーを考えてみよう」というパターン。絵本や画家の人なら、色づかいを教えてみたり、テーマを与えてみんなで大きな絵を描いてみたり(こういった場合、細かい技法にとらわれないで)絵具じゃないものをつかってみたりして子供の想像力を膨らませます。
   正直、スポーツ選手でお話が上手な方は少なく「夢をあきらめない」一点張り。
 実技指導以外感心しません。しかし、学校の先生はどう思っているのでしょう、と考えてしまいます。普段の授業も「夢と感動」を与えるように、演出して(はなまる先生という企画では、先生が、日本史の授業で、卑弥呼の衣裳を着て登場します。)インパクトあります。しかし、先生、縫物に時間がかかります。それなりに、先生には発見があるでしょう。生徒の気を引くだけではもったいない気がします。それとも、普段の授業がつまらないから、たまに、授業を企画して(あるいはオーサーに申し込みして)みるのかしら?
では、学校の授業は、つまらない、か、めちゃ感動かのどちらかなのでしょうか?それではまずいでしょう。

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古くて新しい大村はまさん第一回

ゴジラ
写真: 田んぼの中にゴジラ出現

古くて、新しい大村はまさん
第一回
予備校で教えていた時代に、TV番組をとてもうらやましく思っていたことがありました。
ニュースの解説の合間に、記録映像が挟み込まれる。フリップが出る。図解だけでなく、スピーカーのセリフが大写しででる。など、こういう授業にすれば、どんなにか学生はわかりやすいだろう、と。反対に、学校の教室現場は、どうしてこんなに時代遅れなのか、一字づつ黒板に書き、話ながら書くのは難しく(こういう時は衛星放送キャスターみたい、と自分で思ってました。書くこととしゃべることが時差になっているからです)書いている間、黙っていると、学生もただ黙ってノートに書き写しているだけで「お習字の時間かい」と思われ、こんな時間を喰うなら初めからプリントしておけばよかったと思い、さらに消す時間は無駄なばかりでなくチョークまみれになり、(そういえば、大学の大きな黒板を消すための横幅2mくらいの熊手みたいな黒板消しがありましたね)授業の間に、「誰か大学行って、数分経つと、シュワシュワっと自然に消えるチョーク発明してよ」などと言っていましたっけ。ところが、最近気が付いたのは、TV局が画像やCG(が得意のはずなのに)ばかりではなく、きわめてアナログな道具立てを多用するということです。具体的にはワイドショー番組で多用される「あの、ペロッとはがすやつ」や、「ためしてガッテン」での大掛かりな手作り大道具など、敢えてアナログに徹しようとする傾向です。これも当然のことで、アナログの道具立ての方がインパクトが強いし、CGのようにスピードも速すぎず、「ガッテン」とあいづちを打つには、やはり、こっちだ、と気づいたのではないでしょうか。(製作費もCGより安い?)出演者たちの和気あいあい感も醸し出されますし。
  いずれにせよ、私たちには美術スタッフがいるわけではないので、一回ずつの授業で大道具を一人で製作するのは、無理。せいぜい模造紙に書くくらい、ということになります。(一度、黒板に書く時間を節約しようと、黒板に書く内容を模造紙にすべて、書いたことがあります。模造紙30枚くらいになり、大変な労力で、一回でやめました)
そこで、次回はオーサービジットを考えてみます。


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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

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