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よいデザインわるいデザイン

@@清掃車 (640x640)
写真:清掃車に「もったいない」



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写真:いじわるなベンチ



ベンチ (640x640)
写真:いじわるなベンチ

ひびの
写真:招待券の形





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渋谷で・・第4回

Dior (452x640) (452x640)


帰る途中で、もう一つ「つくる」に関連した映画をみました。
‘Dior and I’ (フレデリックチェン監督)

「初めてのオートクチュールコレクションをディオールですることになったデザイナー、
ラフ・シモンズとディオールのアトリエスタッフとの8週間(エッ8週間でオートクチュールできちゃうの!)を追ったドキュメンタリータッチの映画です。」

私は「服」の造形についてはプロではないので、それについてはその道に
譲るとして、もっぱら映画から伝わってくるものを書き連ねるだけですが、
正直言って、この映画からは、デザイナーが「美の形」を追求する苦悩もストーリーも伝わってくるとは言えませんでした。デザイナーにかかるプレッシャー(映画の中では元祖ディオールの亡霊となって表現されていましたが)は主には、LVMH社からの無言の圧力以上には感じられず、たぶんそれはマスコミ的な成功、ひいてはビジネスとしての成功なんでしょう―それ以上には感じられず。アトリエのスタッフの方が、それはわかっていて、だから、
オートクチュール製作中にも上得意の客のオーダーには逆らえず、なぜなら、彼女たちはそれをしなければ、自分たちの給料がでないことをよく知っているからです。その場面では、「そんな顧客の注文は断れ!」とシモンズが苛立つ映像も映るのですが、それは、デザイナーも会社側も知っているお決まりのセレモニーにすぎないのです。

 ただ、私はビジネスが絡むことがいけないと言っているのではなく、ビジネス的であれ、クチュール的であれ、いずれにせよ、その両方の高いハードルを(ある意味)自ら設定したデザイナーの頭の中にあるイメージを、アトリエスタッフが、まさに、それまでの経験と技術とを駆使してチーム製作するプロセスはとてつもなく、本人たちにとっても面白いだろうし、(映画のプロセスではなく、アトリエ内で行われているだろうプロセス)ここにも前回前々回2つの展覧会とは違った形の「つくる」が行われている事実がある。そして、私なら、この「つくる」に参加したいと強く思いました。(もちろん、経験も技術もないので、たんなる希望です。同じように、私はアーチストというほど美への探求心もなく東北の方たちのようなストーリーも持ち合わせてはいないのです。)


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渋谷で・・第3回



もう一つ
「シンプルなかたち展」-美はどこから来るのか( 六本木 森美術館)
こちらは、言葉なしで。説明しません。
自然石と黒楽茶碗の対比、
プロペラとブランクーシの彫刻、クエン曲面、なんたら曲面
結晶の形、卵、貝殻、動物と人間、円空の木片仏、ヘップワース、
デューラーのメランコリアの中の多面体(はちょっとこじつけ)
最後はモノリス(でたー!)

ここでは、まず、「美」の発見があって、それと似たようなものを探し求める「見立て」。
つぎに「つくって」みる。あとから理屈をつける。こんな順番。自然がお手本なら間違いないですね。



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渋谷で・・第2回

津波 (640x640)
写真:津波

ストーリー (640x640)
写真:ストーリー

けさ (640x640)
写真:さけ

さて、展覧会一つは 言葉にできなかったことを、今やっと、形にできたもの。
「東北つぎっこ展」(渋谷ギャラリー ル・デコ)にて、津波被害などについて、
田老町大棒レオ子さんが語ります。―

「昭和8年3月3日は前回大津波に襲われた日。それ以降、3月3日は
防災訓練の日と決めて、訓練してきた。10mの防波堤もつくった。
防災の町田老といわれた。
でも2011.3.11 すぐに避難しなかった。大丈夫と思った。

お寺に逃げ込んだ。お世話になった。
700人避難-トイレが大変。リヤカーが色々便利。
近所の人たちがおにぎりを作ってくれるが、700人分は疲れるー
「避難している人も作りにきてください。」-
一緒につくる仕事がある方がうれしい。
お寺に40日。-だしがない。津波被害の家の冷蔵庫から味噌を拾ってくる。(許可を得ました)
着るものがない。-薬屋からナプキンを多量に拾ってきて、下着代わりに配る。
指定された避難所じゃないから。

仮設所の入り方。-地区ごとに分かれて、となったけど。
(阪神大震災ではバラばらに入ったから孤独死が多かった)
たった数十日間いただけなのに、お寺に一緒にいた人たちとは50年来の付き合い
みたいな気がする。

1日が長い。
何かの作り方を教えてくれる人がいると、そこへ人が集まる。-
帽子が必要-誰かが、帽子の作り方を探してくる。
救援物資が届き始めるが、そのまま服を着るということはなく、
材料としてリメイクする。その後、作ったものを
販売すると、商工会議所の会員にならないとダメ、なんて言われる。
でも仮設所、集会所で作り始める。

仮設をでて、高台に家を建てるのがいいか。また仮設所の人たちと別れて。

東京へ来たら、工事がいっぱいで、田老みたい。
オリンピックで、三陸と労働者の奪い合い。資材の高騰。
オリンピックでは田老を戦車、聖火が走るらしい。(うわさですが)」
-以上抜粋

そして、そこへデザイナーが加わって、支援者が加わって、
「作りたい意識」が自己表現になった作品たち。この作品群はstoryなしでは、
あり得ないが、人が「つくる」一方での原点。



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渋谷で「つくる」について考える

Bunka (640x640)
写真:おしゃれな傘袋

― 渋谷で「つくる」について考える-   2015.6.1

東京に行ってきました。1泊で展覧会場2つ回る。1つは、言葉はいらない、
意味は内在化してはいるものの、洗練されたフォルムをみてください、というもの。
いま1つは、語って、語って、語ってー形にせざるをえなかったもの。

渋谷は不思議な町。
もちろん、渋谷といっても例の交差点辺り。すごい騒音。こういう場所を人間は
「つくりだす」のですね。若い時は耳が遠くないのに、騒音が好き、-って不思議。
すこし坂を上ると、本当にBUNKAMURAと名づけられた場所にでる。
「文化」はこれだ、と名付ける大胆さ。恐れ入ります。
ちょっと、映画があって(でも、「燃えよドラゴン」なんて決してかかりそうにない。
ちょっと洋書が多い本屋があって・・(バカにしているようですが、正直ホットする私)
パリと同じ名前のカフェがあって・・(でもおいしくない。)
簡単「文化」の作り方。

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易しいことは・・第四回

②虹 (640x478)
写真:にじ

   TVでの林 修先生、池上 彰先生、マイケル・サンデル教授、みなさんもちろん博識で、なおかつ、わかりやすく教える、ということを心得ていらっしゃる。予備校の先生の鏡だと思われます。(ちなみに、サンデル先生が使う、哲学の選択問題 『ex. 臓器が一つしか移植できないときに誰を選択するか』などは、私も医学系小論文の授業でよく使いました)しかし、ここのところ、とみにそのような先生がもてはやされ、数が増えた、というのは予備校になれた人間が増えていることと関係があるのではないかしら、というのが私の仮説です。それからクイズ番組が増えました。昔(20年以上前)もクイズ番組はありましたが、腕(知識)に覚えのある一般の人が応募出演して、誰も知らない問題に答える、番組をつくる人との知恵比べのようなものが伝わってくるものだったような気がします。番組の後では、こちらの世界が広がるような気がして好きでした。しかし、昨今では、芸能人(タレント)が、台本があるやらせ、なのか自虐的なのか(というのも「お笑い芸人」とか「おバカタレント」とかの人を出すこと自体がすでに、やらせですよね)「キのつく国名を5つ挙げよ」的な問題をだして、大騒ぎ。そしてできると「東大卒とか早稲田卒とかいう分類を、やはりタレントにつける。これはどう考えても予備校の延長ですよね。「東大卒」の人は「もっと難易度の高い問題をだして」とは言わず、そんな問題でいいことにしている、というのもタレントだから役割を演じているわけです。そんな番組から伝わってくるのは、人間を分別している、ということだけで、知的な喜びは伝わってきません。ついでに「ビリギャルが慶大に入った」とか云々というタイトルの本もが売れているそうですが「ビリギャル」という言葉も「慶大」という言葉に持たせた意味も、二重に差別している感じがして、嫌な気分にしかなりません。「嫌な」ついでに、もう一つ「嫌な」話を。小学校から英語を教えるということの賛否があります。(これについては、別項で考えたいですが)その賛否とは別に、というか(だから私は反対なのですが)小学校だか中学校だかの英会話講師が「白人」ではなく「黒人」であるとか、フィリピンの方であるとかいうことで、教育に熱心らしい母親たちが忌避の申し立てをしたという記事です。本当に「知」のレベルが低い、と言わざるを得ません。(これも、人を見下した言い方ですが、「言わざるを得ません」)




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ファッショの時代にファッションの力を!

A'N'D表紙
A'N'D表紙

「ファッショの時代にファッションの力を」 2015.5.4
   ――――北アルプス展望美術館”view point”
                           A'N'Dの展示から考えたこと――――

これまでも、縁があり、時折A'N'Dの仕事を垣間見る機会に恵まれ、私は幸せ者だなと改めて思いました。それは衣デザイン専門学校の授業で、直接当人たちから制作動機をレクチュアしてもらったり、ロンドンのA'N'Dのアトリエ兼住宅でバーベキューを頂いたり、商品を置いてあるロンドンのお店(The Pineal Eye)を紹介してもらったり、ロンドンで一番(?)おしゃれな人たちが行く(とおっしゃっていた)レストラン(日本でいう、一膳めし屋)へ連れて行ってもらったりしたからです。おかげで、作品だけを眺めたり、商品だけを買ったりするより、彼らの生き方考え方にふれることができました。

  もちろん、アート作品としてだけでもあるいはF商品としてだけみてもそれぞれに完成レベルに達しているのですが、その二つを結びつけていることに彼らの矜持を感じるのです。アート作品としてしまうと「なぜ売るんだ」とか言う声が沸き上がる一部日本美術界やF商品ならもっと大量生産・販売じゃないと儲からない」とかいう声がありがちな単線思考の日本では彼らの仕事は生まれなかったでしょう。私はとてもロンドン的だと思います。「ロンドン的」ってなによ?と言えば、つまりグローバルで清濁合わせ飲んだ上で現在の立場にいる、ときにはテロられる、成熟した文化的背景がある、ということです。

こんな回りくどい言い方をしなくても、北アルプス展望美術館の企画をされた方が「遊びだけど遊びじゃない」とか「コンセプトを
デザインした」とか「飽きない美しさ」とか、説明文に簡潔に表現をしてくださっているのですが、これが、彼らの生活や生き方までも貫いているということを、私はちょっと指摘しておきたいのです。

  彼らは文明批評家です。ファッション人間を笑い、ストリート系を笑い、自然派を笑い、自分さえも笑いの対象にしてしまいます。彼らの「ナルシストシリーズ」中の自分の姿が映るサングラス(実はネックレス)を(ナルシストで有名な)カールラガーフェルドが買っていったというエピソードが付け加えられることで、彼らの目論見は完璧になるのです。彼らにとっては、権威や、格好つけ意識は、それこそ恰好のネタになるのです。(それを買ったラガーフェルドも目が高い)

彼らは、政治をネタにしたことはありません。多分、それは「おしゃれ」じゃないから。直接、聞いたわけではありませんが、側面攻撃がおしゃれ、とわきまえているのではないでしょうか。しかし、時として政治は生活まで統制しようとします。今、そんな空気を感じたりもします。あるいは、テロや、憲法や原発や、世論が2部されている険悪な風潮が蔓延しています。こんな時代に、A'N'Dの作品はますます重要性を増すではないでしょうか。
これもTVで見たエピソードですが、淡谷のり子さんという往年の歌手が、「戦時中、『欲しがりません勝つまでは』というスローガンのもと、女性はモンペをはけ、という風潮の中で、自分は毛皮のコートを着通した。」という話をしていました。あの評判悪い毛皮でも立派に反戦になっています。ファッションには相対性があるのです。2015年春夏のパリオートクチュールでのシャネルのショーは記憶に新しいところです。ファッションは物を言うのです。
  A'N'Dの作品作りの姿勢にも同じ様な気骨を感じます。もちろん彼らは、軽々と表現します。あるいは、ファッションのもつ相対性に気づいている、と言えるでしょう。

 目指すは"fashionable"です。
私たちの社会の成熟度、知性が'fashion'を評価する余地を残すように切に願うばかりです。

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A'N'D

A'N'D
写真AND

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易しいことは・・第三回

③虹 (640x478)
写真:にじ



  ここでちょっと援軍を頼みます。「香山リカ氏の、新しい『リベラル』の話をしよう」の[5]で「知性の海抜ゼロ地帯」の出現」がタイトルとなっている文章があります。詳しくは朝日新聞のWEBRONZAをお読みになって頂きたいが、その中で、さらに佐々木敦氏の文(「未知との遭遇」の一部)が紹介され、「啓蒙のベクトルがどんどん落ちていく」ということが話題となっています。そこでは「教えてあげる君」と「教えて君」との間の、わかりきったことを「親切に」教え―教えられる関係が述べられていて、自分で調べればわかることを聞いているうちに、どんどん知力が落ちていく「背筋も凍る」状況が述べられています。

  もちろん、他人のことをあげつらう前に自分もそういう状況の中にいた、ということに気づかされてゾッとするのです。しかし、この「わかりやすく教えて病」はいつから、どこから、そうなったのでしょう。香山さんは新書ブームから、という見方を示していますが、私の実体験からすると、予備校の責任は大きいと思います。今から30年くらい前、かなりの人数が予備校というところを通過し、そこでよくも悪くも「面白い授業」に出会いました。高校の授業は本当につまらなかった。それに比べると、教えることで利益を得ているインストラクターたちは、予習に時間をかけて(高校の先生は雑用で時間がない)質問をあらかじめ予想し、「そうきたらーこう答えるか」を考えて授業に臨むのです。エピソードを交えて。

私の担当科目は語学でしたから、もちろんエピソードが満載で、予習の段階でエピソードを集めるために、読書(といっても雑学)が欠かせませんでした。語学といっても、「解釈」なので、中に書かれている内容は様々、生物学から心理学、小説から詩までありました。

  エピソードというのは、主にその出典や著作者にまつわるものが多く、経済学関係だと、その頃ではフリードマンの「選択の自由」のほんの一部が英文で紹介される。ほんの一部でピッタッとした日本語訳をするというのは、考えてみれば高校生には酷な話で、そこで、話はアダムスミスから、ケインズ、マルクスまで経済学の歴史を自由という観点から概観するという無謀な(たぶん、この文をを読まれた方はそんな芸当が私にできるのか???と思われるでしょう)なことを90分内に行い、そして、タイトル “free
to choose” が「自由に選択していい」ということを学ぶのです。誰がエラソーに「自由に選択していい」なんて言うの?と問い「大きな政府、小さな政府」というところへ行きます。そうやってたどっていくと、案外、英語で読むと経済学って面白いじゃんというところへ落ち着くのです。-これで授業はおしまい。考えてみると、大学入試というのは、大学へ入るためのものだから、大学へ入ってからやる科目のさらに入門編を入試では出題するので、勉強する方もその入口の面白さを理解する、というのはまんざら間違いでもないのですが・・・しかし、怖い!と今、思います。私なんかの理解で学生に教えていたのは。話を戻します。佐々木敦氏が「教えてあげる」は他の人に任せておいて、自分は「未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方をやはりしたい」と述べていますが、本当にもっと「「未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方を」をしてあげなければいけなかったか、と思うこの頃です。(これも大それた野望ですが)

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易しいことは・・:第二回

  その他、学生の頃からバイトの家庭教師をやりまくって、海外旅行費用を稼ぎましたし、
日本語学校で中国人に日本語もおしえました。家庭教師では、ほとんど生徒と一緒に漫画読んで、ケーキをごちそうになってました。(いまどきはちゃんとプリントとか刷って持っていくそうですね)
そして、今、専門学校では検定試験のための講義と小論文みたいな社会学を教えています。

  結局、上手もなにも、「教えること」で衣食住すべてを賄ってきましたので、これはプロとしか言いようがない。そして、おかげさまで、実に、多様、多数の学生を教えてきました。高校の先生は高校の生徒だけだし、予備校の講師でも、専門学校で教える人は珍しいし、あ、今、大学でも教えてます。合宿生活をする予備校でも5年間マラソンしながら教えたし、もうないかなー。ああ聾唖の中学生に英語をおしえたこともあった。彼女は学校の定期試験でいつも英語100点。でも2人では、いつも読んだ本の話をしてました。(紙と鉛筆で。そのころ手話を知りませんでした)

  自分でいうのもなんですが、たいていの場合、生徒から好かれました。家庭教師をしていた子供からは、たいてい続行を懇願されました。(エヘッ👅)もちろん、1クラス100人いて、100人から好かれるのは無理なので、アンケートでは8割満足が取れればよしとしました。予備校にいた28年間、ほぼ平均して8割はいっていたと思います。

 さて教え方は上手でしょうか?どうなんでしょ?実は、私は「英語」は素人で(つまり、英文科とか出ていない)それで、予備校では英文解釈を教えていましたが、自分流の解釈を講釈していたわけです。一部、こういう話がでていたのを知っています。「講釈を聞かされるより、知らない単語があっても前後から推測して、速い、うまい(点がとれる)日本語訳の仕方を面白可笑しく、教えてくれるのが予備校のプロなんじゃないか」という。

  わかってましたよ。しかし、私は自分流を貫きました。そんなに「つまらない」という評価でもありませんでしたし。「つまらなかった」ら、それはお代を返さなければなりません。が、私は正統派で行こう、と。正統派というのはこういうことです。英文解釈というのは、その英文を書いた人が、何かを伝えたかったのだ、その主張をちゃんと読み取ろう。そのためには、その時代の社会状況やアカデミックな潮流を知っていなければならず、でも、それは、(先に知っているのが理想だけれど)「今、知ればいいからね」という
授業。だから、「解釈」は解釈なので、「私はこう解釈する」と。すると、必ず「正解はどうなんですか」と聞いてくる生徒がいる。
「だから、私(・・・)の解釈はこうですよ」と言って譲らない。-すると件の生徒は面白くない。-この生徒はアンケート「不満」になったでしょう。これは「上手い」授業かどうか、議論があるところです。

朝焼け (640x478)
写真:朝焼け
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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

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