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実はSF好きです

きのこ 宇宙船?きのこ


     実は、SF好きです。SFと言うと、すぐに帰ってくる反応が「スターウォーズ?」ですが、「スターウォーズ」とくに映画のそれは、あまり好きではありません(と言っても、第一作は、見に行きました。1977年)それはそれで、びっくりしました。映像の美しさに。(CGではなくSFXなんですって)でも、その前のSFというか奇想天外フィルムでは、人間が縫いぐるみを着て暴れる、というイメージ、思い出しかありませんでしたから。しかし、スターウォーズのストーリーは、やはり、奇想天外ものというか、古めかしい西部活劇だったので、これにもびっくりした思い出しかありません。以来、ハリーポッターシリーズとか、(SFではないですね)ロードオブザリングとか見ませんし、CGと合成の白雪姫にいたっては、童話ですもんね。そうそう、小説なのか映画なのか、の話しがごっちゃになってますね。映画の出来は別の話しにしましょう。小説で。では、スターウォーズの原作はSFか、と問われれば・・・私に言わせれば、SFではありません。
    SFというのは、基本的科学の法則は変えずに、起こりうる仮説を書いたものであって、そういう意味では、科学の仮説はすべてSFと言い換えてもよいのでは。ではfiction部分 はなんなんだ。「作り物」あるいは想像の産物が入っていないでSFか、という反論がおこるかな。それについてはこう思っています。仮説と呼ばれるものは、実は、その仮説を出すにあたって、その仮定は実験され、検証されてはじめて、仮説として提出されている。一方SFは、仮説が壮大すぎて検証が難しい、もしくは何万年何十万年かのスケールでおこるかもしれないこと(壮大と同じことか)はたまた、あるいは、真逆で、99%起こりうることを指す、と考えます。   好きな作品を以下に列挙。
  ・「2001年宇宙の旅 監督:スタンリー・キューブリック 原作:アーサー・C・クラーク」有名すぎるくらい有名だが、一応ここから。これは原作も映画もコンセプトはほぼ一致しているといってもよい。
  「科学知識が進歩するにつれ、遅かれ早 かれ生物は、自然が与えたもうた肉体という住家から逃れでるだろう。ひよわで、病気や事故に絶えず付きま とわれ、ついには避けられない死へと導く肉体など無いほうが良い。自然の肉体が擦り切れたら――いやそれ どころか、擦り切れないうちに――金属やプラスチックの部品と取替え、そうして不死を勝ち取るのだ。 しかし脳は有機組織の名残として、しばらくは留まることになるかもしれない。機械の四肢を操り、あるいは 電子の五感――盲目的な進化では到底得られない鋭い微妙な感覚――を使って宇宙の観察を続けるだろう。 地球ですらその方向に何歩か進み始めているのだ。長生きできないと宣告された何百万もの人が、人工の手足、 人工肝臓、人口肺、人工心臓のおかげで、いま幸福で活動的な暮らしをしている。この方向に行きつく先は一 つしかない。――たとえそれが常軌を逸したものであろうと。最後には脳さえ消えて行くだろう。意識の着床 する場として脳は必須のものではない。そのことは電子知性の発達が証明している。精神と機械の対立は、や がて完全な共生という永遠の妥協で終わるかもしれない…。だがそれが終局だろうか?(中略)ロボット身体も 血と身体と同様に単なる踏み石であって、やがて人々が精霊と呼んだものに至るかもしれない。 そして、そのまた向こうに何かあるとすれば・・・」
しかし、アーサーCクラークとキューブリックとの間でも、その先についての意見は一致したとは限らない。2001年いや2017年の現在、私たちは、機械とも生物ともつかない、スマホ人間と化した。
  ・「惑星ソラリス 監督:アンドレイ・タルコフスキー 原作:スタニスワフ・レム ソラリスの陽のもとに」
  これも超有名で済みません。これこそ、宇宙空間の映像もあまりない、SF映像を求める向きには不向きなSF。 哲学的・実存的困難に陥る人間をテーマにしている。惑星ソラリスは有機体で、そこに近づく宇宙船には怪奇現象がおこる。それは「自分」の潜在意識が形になって立ち上がっていたのだった。
  ・GATTACA (1997年 監督:アンドリュー・ニコル 
   G・A・T・CはDNAの基本塩基。 近未来では遺伝子操作によって、人間は「適正者」と「不適正者」に分別され、将来の仕事も決められている。というのだが、今2017年現在、生殖ビジネスがすでに真っ盛り、デザイナーベイビーが望まれ、そして日本では「進路」という名で、自分の将来が決められている。SFは近い将来を予見する。
   ・「星を継ぐもの」(ジェイムズ・P・ホーガン1977年上梓)
こちらは、微妙。下手をすると、スターウォーズのような宇宙船が飛び交うような、でも映画には最適なSFに陥る可能性あり、でもぎりぎり踏みとどめているのは、現在の科学上の謎から出発した(ミッシングリンク、小惑星帯、月の裏表、人類の起源など)科学上の大胆な仮説が面白い。
   ・「あなたの人生の物語」(テッド・チャン2000年 日本では砲台「メッセージ」として2017年映画公開)
異星人とのコンタクトはSFの定番ではあるが、この小説では、その異星人の姿形は問題とされないし、ましてやその異星人とドンドンパチパチ闘ったりしない。問題はコンタクトをどうとるか、その異星人が使う言語とは。人間の使用する言語とは発話形式も書法も認識の仕方も違う。そもそも時制の概念が違う。時制がない世界を理解しなければならない。数学と物理の謎をとく世界もSFなのだ。(もちろん、私には解けないが) 小説の時制が、不思議。主人公が娘を身ごもっているときには、その娘の一生がわかっているので、未来形で「こうーなるでしょう」という書き方になる。映画化は無理だ、と言われていたが、「誠実」なレベルであるという評判。
   ・で「ブレードランナー」(フィリップ・K・ディップ原作 「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」 映画公開1982年監督リドリー・スコット)
     映画のストーリーは、メロドラマ風であるが、映像美(?)が新宿歌舞伎町であることと、絶えず酸性雨が降り続く都会というリアルな設定につきる映画。「メイキング・オブ・デンジャラス・デイズ」によれば、製作費を切り詰めるためセットの使いまわしがばれないよう暗くした、らしい。(笑)

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仕事観


「ツール」 エルメス銀座のウインドーディスプレー

仕事観

「仕事観は人生観」と言ってもよい。なぜなら、人生の大半は仕事に追われるから。追われないほど優雅な人もいるでしょう。例えば、リッチな夫に養われている専業主婦-主婦といわないかも、家事に追われてもいないでしょうから。高級娼婦かな。じゃあ、やっぱり仕事だ。(娼婦でいるにはそれなりの努力がいる、と思われます。)-という人について、話したいのではありません。ここで、話題にしたいのは、普通に就活する一般青年が就く仕事のことです。

   私が、今まで彼らと接していて(18歳が高校卒業あるいは進学する際の仕事観です)
よく耳にするのは「仕事、やだな」です。ともかく、「仕事」となったら=「やなこと」というのが日本の18歳の本音かな、と思われます。よっぽどの家庭の事情がない限り、仕事から逃れるために進学しているような事態です。専門学校・短大だと2年、大学なら4年、大学院なら6年先送りにできるという感じ。

  ※不思議なことです。仕事を嫌がる人ほど、学歴が高くなり、初任給が増える、ということになります。転倒しています。
  
  もう一つの理由は(これは私の推察ですが)高校の進路の先生が、上記の法則(※)を率先して勧めているのでは、と疑われることです。これも、私の狭い経験内のことなので、「違う」という人がいらっしゃるだろうということも推測できます。けれど、経験を語れば、こういうことです。 まず、大学受験時に教育学部を目指す受験生の口から何度となく、聞いたのは「民間の会社に就職したくない」という言葉です。つまり「仕事、やだな」の風潮がここに現れています。「民間」というのは、会社の業績を上げるために、個の社員が犠牲になって、身を粉にして働く、そんなイメージを持っているらしい(実際、嘘じゃないかも) そんな過労死すれすれではなく、無垢な子供たちと一緒になってワイワイとやっていたい、と思うのも当然。なおかつ、公務員なら首にならず、さらに親も教職ならば、たいてい子にも勧めていることが多いーということは、おいしい職業なのでしょう。(下司の勘ぐり)

私が高校3年生のときも、大学進学の話し(も憚られたけれど、というのは大学紛争たけなわで、大学の意味が問われていた時期だったので)ばかしで「仕事」についての話しは聞いたことがありませんでした。という訳で、私も正直なところ「仕事、やだな」で進学した口です。今は、時々、高校や中学から「仕事についての話し」を専門学校の観点から求められることもあるので、当時より「職業について」の意識が高まっているような気もします。が、何よりも問題なのは、「職種が何」ではなく「仕事観」が形成されていない、ということなのです。それには、やはり、先述した先生たちの意識が意識なので「面倒くさい」最後には「大学へやっておけば」誰からも文句がこない、ということになっているのでは、と、現状思われます。
   では、お前の仕事観を述べろよ、と言われますね。私は毎年、卒業して就職していく学生たちに対して、こう言います。「健康で、働いていてくれさえすれば、給料は安くても、出世しなくてもいいからね。ただ、続けていてね。」続けて(もちろん、生活費が維持できれば)いさえすれば、仕事が、あなたを作るでしょう。それが、天職だって。給料や出世に気をとられると、天職は見つかりにくくなります。自分の能力や性格に合わない場合もあります。そのように思ったら転職してもいいのですが、「自分の能力や性格」に合わせるのがミソです。間違っても「給料や出世」ではないのです。これを、どう見つけるかは18歳時点ではなかなか、難しいことです。自分の能力に見切りをつけている人もいないし、ましてや自分の性格なんてわかるはずもないので。 そこで、「とりあへず就職」です。「喰わなくちゃならない」という選択も悪くないです。「とりあへず、喰わなくちゃならない」ので就職する、という人が一番いい就職をするような気がします。あとは、継続。そして、自分にぴったりの仕事をみつけた人は人生もうまくいった、と言えるのではないでしょうか。「ぴったり」とは「楽」なだけではありません。それなりに「つらい」こともあるでしょう。けれど、「ずたずた」にならない程度、自分を鍛えるものがないと、人を成長させません。ちょっと、うまく伝わりませんが、[勘]です。

 仕事にプライドも大事です。どうも欧米では、掃除のような仕事は、従来、移民(や黒人)の仕事と考えているふしがあり、やらされている感がある方も、ひどい仕事をしがちです。そして、日本でも大学のランクづけをする延長で、仕事のランク付けをする癖がついた人の人生は、(かなり傍目にみてよい仕事でも)悲惨です。しかし、一旦、この気持ちが逆転すると、仕事を誇りにする、素晴らしい仕事をする家政婦さんや、日本の新幹線のお掃除さんなどの話しにも枚挙ありません。「とりあへず喰う」そして、「今やっていることにプライドをもつ」
―――どうぞ、よい就職を。

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制服考

制服から考える
制服着てません。スカーフしてます。


   私が高校生の頃((・∀・)ウン!!十年前 は「制服反対!」と叫んでいた。今の高校生には「なんで反対???」と思われるでしょう。「反対」の意味は、現在の「共謀罪反対!」の「反対」に近いです。なぜ「反対」か、は、ここでは敢えて説明しません。今日のテーマは「議論のずれ」です。
  当時、高校生の私(たち)には、制服を作っている人達がいる、作って生業を立てている、人がいるということに気が付きませんでした。若いってことで許してほしいと思います。
   ところが、今は「制服反対」などと言おうものなら(誰も言っていませんが)SNSなどで、すぐに「作っている人のことを考えているのか」とか「制服がない学校はレベルが低いと思われる(?)」なんていう非難があらゆる方面から飛んで来て、うまくいけば、大きな運動の「潮流」ともなりうれば、下手をすると、いわゆる「炎上」してしまうのです。ちゃんと説明する間もありません。
では、敢えて説明してしまえば、(共謀罪に反対するのと同じ理由を)無個性に考えられる不気味さや、自らの側が全体主義的な人間に、権威・権力から教育されるのではないかという恐怖感というもので、その入口に、まず、形である制服があるのです。意思さえ強ければ、そのように教育されない、というのは能天気でしょう。屁理屈に過ぎません。ポイントは「権威・権力への反抗」です。「制服ましてや服」の話しではありません。この際、制服を作っている企業の人がいる、とか、制服はファッションとしてどうなの?というのはとりあへず議論から外していいのではないですか。

  意見―反論というのは、それなりに字数を費やし、相手の意見の軸を確かめ、お互いに修正して成り立つものです。わっと、炎上というのは、嫌だなと思います。
  これ(議論のずれ)を、わざとやる人達がいます。加計学園をめぐる政府の答弁はまさにコレです。問題は「公人・首相や取り巻きが、友人や主義の選択を恣意的にして、しかも、公金まで流用されている、という事実があった(のか、百歩譲って、なかったのか)」という問題であることは明らかです。ところが、「全国的に獣医学部が不足している」などという論にすり替えをする。ここまでくると人間性まで疑われます。品性が卑しいと言ってもいいのではないですか。頭が悪い人達ではないのですから。それに、先ほどのようなネット貧民が、本当にずれた議論をまき散らすものだから・・・
     嗚呼、気持ちのよい議論をしたい。

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人間て

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鉄路と桜


   人間ていうものは、つくづく「言葉の生き物だな」と思う。言葉で考え、言葉に生きる。特に、この近代以降は、人権、自由、平等などという抽象をあるものとして、いわばフィクションの近代国家を作り上げてきた。ここで「国家」だけはリアルな「領土」のままである。その領土に見えない国境線をひいて(ということはやはり、フィクションか)面積の広さを奪い合うことを人間はしてきた。渡り鳥には国境線なんてないのに。滑稽。
   「自由」「人権」「平等」などは、それを信奉する人にとっては、命を賭けるものに値するフィクションだ。そういった、目に見えないものだけれど、やっと辿り着いたものを基盤に議会制度や選挙制度を築きあげてきた、ところもある。フィクションだけれど、サクサクとそれらを実現することによって効率よく人間同士の統治もすすみ、小競り合いや殺し合いは姿を消した。安心して働けることで作物の収穫量は増え、頭をつかえばお金も貯まる社会になった。つまり先進国と言われるところ。逆にいまだに、リーダーの欲に基づいて、統治が行われている場所もある。内乱状態のアフリカ、南米の一部の国々。国王に捧げる処女の踊り、なんてことをしている独裁国家。あまりに肉欲そのもので滑稽。
   しかし、質が悪いのは、フィクションであれ近代国家として民主主義を標榜してきた国々で、「あれら―人権、自由、平等―なんて、どうせ嘘じゃん」と気づいた(!)指導者たち。これらの者たちは、詭弁を弄することになる。一番身近な例を出そう。A首相は、「オリンピックまでに共謀罪を成立させる」という。なんの論理性(フィクション)もない。「オリンピック」と「共謀罪」に何の関係もない。「オリンピックまでに(どこそこの)道路を補修する」というのならわかる。しかし、「オリンピック」と言えば「テロだ」「テロ」は誰がするかわからない謀議だ」「だれがするかわからないから、誰でも捕まえられる法律が必要だ」-むちゃくちゃでござりますがな。「風が吹けば、桶屋が儲かる」の論理と言えば、聞こえがいいが。
   で、元々の議論がフィクションを元にしているものだから、野党も追及できない。「関係がないものを関係づけるのが論理だ」くらいにしか思っていないので。最初に、「自由」や「平等」や「人権」を信じていないから。信じるという意味では、神国日本を信じている人も「信じて」いることに変わりはない。どちらが、「信念」が強いかの争いですか?―いや、そもそも約束違反だ。なぜなら(近代の約束によってできているはずの)選挙で選出された首相だ、と言って威張っているのがあんただから。その他の約束も守ってくれなくてはいけないでしょ。 

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この国のレベル

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あーあ

    あーあ なんで、こんな河原にしちゃうんでしょうね。この間まで、葦が生えて、ヨシキリがの声が鳴き交わされていたのに。朝、橋の上からその姿を見るのが楽しみだったのに。一気にブルドーザで。しかも、ゲートボール場にするのか、時には、何にもしない場合も多く、予算の消化のためなんでしょうか?こういうことが多すぎる気がします。例えば、地域に親しまれている大木があったら、そこに住んでいる人に聞くってもんでしょう。 このブログの2015年7月の回に写真が載っている「ゴジラの木」も知らないうちに、切られてしまいました。(泣)
   以前にドイツのある町で、大きなビルが建つことになって。でも、そのビルが建つと、風の流れがかわって、あるいは強くなってしまうということで、住民との話し合いがもたれ、結果として、ビルのど真ん中に穴が開いている斬新な設計になりました、という話を読んだことがあります。かえって、そのビルがカッコよくなって、デザインってそういう過程を経ることなんじゃないかと思いました。そういう過程とはもちろん、民主主義です。だから民主主義を経ないデザイン(とまあ呼んだとして)はロシア構成主義もドイツの第三帝国国粋主義建築もなにやら似ているではないですか。そして、オリンピック関連の建築物や万博やどこかの国会議事堂も。ぜーんぜん、美しくない。
   この国の民主主義レベルと言ったら(と建築からいきなり議論の話しになりますが)最低。私と意見を異にするからではなく、議論にも何にもなっていないレベルです。つい最近の森友問題関連のことを指しています。首相の頭のレベルが低すぎます。国会議員も。こんなことを言うと、お前はどんなに頭がいいんだ、と言われそうですが、だって・・・
教育勅語は戦後の国会で否定されているわけですから(この際、内容はともかく)肯定する人は、その否決内容に対して反論しなければいけないでしょう。なのに「親孝行はすべきだ」とは((;´д`)トホホ  そして、議論を封じる。感情論。これが国会なんですよ。ほとほとこの国が恥ずかしいです。こんな議員、選んだ人がどうかしてます。とまあ、ここでほざいていても、知らないうちに、気が付くと周りは、その選んだ人ばかり、という世の中になるのかしら。照ノ富士に「モンゴルへ帰れ!」って叫んだ人が居たらしいですね。ほんと悲しい。

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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

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