スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

仕事観


「ツール」 エルメス銀座のウインドーディスプレー

仕事観

「仕事観は人生観」と言ってもよい。なぜなら、人生の大半は仕事に追われるから。追われないほど優雅な人もいるでしょう。例えば、リッチな夫に養われている専業主婦-主婦といわないかも、家事に追われてもいないでしょうから。高級娼婦かな。じゃあ、やっぱり仕事だ。(娼婦でいるにはそれなりの努力がいる、と思われます。)-という人について、話したいのではありません。ここで、話題にしたいのは、普通に就活する一般青年が就く仕事のことです。

   私が、今まで彼らと接していて(18歳が高校卒業あるいは進学する際の仕事観です)
よく耳にするのは「仕事、やだな」です。ともかく、「仕事」となったら=「やなこと」というのが日本の18歳の本音かな、と思われます。よっぽどの家庭の事情がない限り、仕事から逃れるために進学しているような事態です。専門学校・短大だと2年、大学なら4年、大学院なら6年先送りにできるという感じ。

  ※不思議なことです。仕事を嫌がる人ほど、学歴が高くなり、初任給が増える、ということになります。転倒しています。
  
  もう一つの理由は(これは私の推察ですが)高校の進路の先生が、上記の法則(※)を率先して勧めているのでは、と疑われることです。これも、私の狭い経験内のことなので、「違う」という人がいらっしゃるだろうということも推測できます。けれど、経験を語れば、こういうことです。 まず、大学受験時に教育学部を目指す受験生の口から何度となく、聞いたのは「民間の会社に就職したくない」という言葉です。つまり「仕事、やだな」の風潮がここに現れています。「民間」というのは、会社の業績を上げるために、個の社員が犠牲になって、身を粉にして働く、そんなイメージを持っているらしい(実際、嘘じゃないかも) そんな過労死すれすれではなく、無垢な子供たちと一緒になってワイワイとやっていたい、と思うのも当然。なおかつ、公務員なら首にならず、さらに親も教職ならば、たいてい子にも勧めていることが多いーということは、おいしい職業なのでしょう。(下司の勘ぐり)

私が高校3年生のときも、大学進学の話し(も憚られたけれど、というのは大学紛争たけなわで、大学の意味が問われていた時期だったので)ばかしで「仕事」についての話しは聞いたことがありませんでした。という訳で、私も正直なところ「仕事、やだな」で進学した口です。今は、時々、高校や中学から「仕事についての話し」を専門学校の観点から求められることもあるので、当時より「職業について」の意識が高まっているような気もします。が、何よりも問題なのは、「職種が何」ではなく「仕事観」が形成されていない、ということなのです。それには、やはり、先述した先生たちの意識が意識なので「面倒くさい」最後には「大学へやっておけば」誰からも文句がこない、ということになっているのでは、と、現状思われます。
   では、お前の仕事観を述べろよ、と言われますね。私は毎年、卒業して就職していく学生たちに対して、こう言います。「健康で、働いていてくれさえすれば、給料は安くても、出世しなくてもいいからね。ただ、続けていてね。」続けて(もちろん、生活費が維持できれば)いさえすれば、仕事が、あなたを作るでしょう。それが、天職だって。給料や出世に気をとられると、天職は見つかりにくくなります。自分の能力や性格に合わない場合もあります。そのように思ったら転職してもいいのですが、「自分の能力や性格」に合わせるのがミソです。間違っても「給料や出世」ではないのです。これを、どう見つけるかは18歳時点ではなかなか、難しいことです。自分の能力に見切りをつけている人もいないし、ましてや自分の性格なんてわかるはずもないので。 そこで、「とりあへず就職」です。「喰わなくちゃならない」という選択も悪くないです。「とりあへず、喰わなくちゃならない」ので就職する、という人が一番いい就職をするような気がします。あとは、継続。そして、自分にぴったりの仕事をみつけた人は人生もうまくいった、と言えるのではないでしょうか。「ぴったり」とは「楽」なだけではありません。それなりに「つらい」こともあるでしょう。けれど、「ずたずた」にならない程度、自分を鍛えるものがないと、人を成長させません。ちょっと、うまく伝わりませんが、[勘]です。

 仕事にプライドも大事です。どうも欧米では、掃除のような仕事は、従来、移民(や黒人)の仕事と考えているふしがあり、やらされている感がある方も、ひどい仕事をしがちです。そして、日本でも大学のランクづけをする延長で、仕事のランク付けをする癖がついた人の人生は、(かなり傍目にみてよい仕事でも)悲惨です。しかし、一旦、この気持ちが逆転すると、仕事を誇りにする、素晴らしい仕事をする家政婦さんや、日本の新幹線のお掃除さんなどの話しにも枚挙ありません。「とりあへず喰う」そして、「今やっていることにプライドをもつ」
―――どうぞ、よい就職を。

スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

制服考

制服から考える
制服着てません。スカーフしてます。


   私が高校生の頃((・∀・)ウン!!十年前 は「制服反対!」と叫んでいた。今の高校生には「なんで反対???」と思われるでしょう。「反対」の意味は、現在の「共謀罪反対!」の「反対」に近いです。なぜ「反対」か、は、ここでは敢えて説明しません。今日のテーマは「議論のずれ」です。
  当時、高校生の私(たち)には、制服を作っている人達がいる、作って生業を立てている、人がいるということに気が付きませんでした。若いってことで許してほしいと思います。
   ところが、今は「制服反対」などと言おうものなら(誰も言っていませんが)SNSなどで、すぐに「作っている人のことを考えているのか」とか「制服がない学校はレベルが低いと思われる(?)」なんていう非難があらゆる方面から飛んで来て、うまくいけば、大きな運動の「潮流」ともなりうれば、下手をすると、いわゆる「炎上」してしまうのです。ちゃんと説明する間もありません。
では、敢えて説明してしまえば、(共謀罪に反対するのと同じ理由を)無個性に考えられる不気味さや、自らの側が全体主義的な人間に、権威・権力から教育されるのではないかという恐怖感というもので、その入口に、まず、形である制服があるのです。意思さえ強ければ、そのように教育されない、というのは能天気でしょう。屁理屈に過ぎません。ポイントは「権威・権力への反抗」です。「制服ましてや服」の話しではありません。この際、制服を作っている企業の人がいる、とか、制服はファッションとしてどうなの?というのはとりあへず議論から外していいのではないですか。

  意見―反論というのは、それなりに字数を費やし、相手の意見の軸を確かめ、お互いに修正して成り立つものです。わっと、炎上というのは、嫌だなと思います。
  これ(議論のずれ)を、わざとやる人達がいます。加計学園をめぐる政府の答弁はまさにコレです。問題は「公人・首相や取り巻きが、友人や主義の選択を恣意的にして、しかも、公金まで流用されている、という事実があった(のか、百歩譲って、なかったのか)」という問題であることは明らかです。ところが、「全国的に獣医学部が不足している」などという論にすり替えをする。ここまでくると人間性まで疑われます。品性が卑しいと言ってもいいのではないですか。頭が悪い人達ではないのですから。それに、先ほどのようなネット貧民が、本当にずれた議論をまき散らすものだから・・・
     嗚呼、気持ちのよい議論をしたい。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

人間て

securedownload (640x478)
鉄路と桜


   人間ていうものは、つくづく「言葉の生き物だな」と思う。言葉で考え、言葉に生きる。特に、この近代以降は、人権、自由、平等などという抽象をあるものとして、いわばフィクションの近代国家を作り上げてきた。ここで「国家」だけはリアルな「領土」のままである。その領土に見えない国境線をひいて(ということはやはり、フィクションか)面積の広さを奪い合うことを人間はしてきた。渡り鳥には国境線なんてないのに。滑稽。
   「自由」「人権」「平等」などは、それを信奉する人にとっては、命を賭けるものに値するフィクションだ。そういった、目に見えないものだけれど、やっと辿り着いたものを基盤に議会制度や選挙制度を築きあげてきた、ところもある。フィクションだけれど、サクサクとそれらを実現することによって効率よく人間同士の統治もすすみ、小競り合いや殺し合いは姿を消した。安心して働けることで作物の収穫量は増え、頭をつかえばお金も貯まる社会になった。つまり先進国と言われるところ。逆にいまだに、リーダーの欲に基づいて、統治が行われている場所もある。内乱状態のアフリカ、南米の一部の国々。国王に捧げる処女の踊り、なんてことをしている独裁国家。あまりに肉欲そのもので滑稽。
   しかし、質が悪いのは、フィクションであれ近代国家として民主主義を標榜してきた国々で、「あれら―人権、自由、平等―なんて、どうせ嘘じゃん」と気づいた(!)指導者たち。これらの者たちは、詭弁を弄することになる。一番身近な例を出そう。A首相は、「オリンピックまでに共謀罪を成立させる」という。なんの論理性(フィクション)もない。「オリンピック」と「共謀罪」に何の関係もない。「オリンピックまでに(どこそこの)道路を補修する」というのならわかる。しかし、「オリンピック」と言えば「テロだ」「テロ」は誰がするかわからない謀議だ」「だれがするかわからないから、誰でも捕まえられる法律が必要だ」-むちゃくちゃでござりますがな。「風が吹けば、桶屋が儲かる」の論理と言えば、聞こえがいいが。
   で、元々の議論がフィクションを元にしているものだから、野党も追及できない。「関係がないものを関係づけるのが論理だ」くらいにしか思っていないので。最初に、「自由」や「平等」や「人権」を信じていないから。信じるという意味では、神国日本を信じている人も「信じて」いることに変わりはない。どちらが、「信念」が強いかの争いですか?―いや、そもそも約束違反だ。なぜなら(近代の約束によってできているはずの)選挙で選出された首相だ、と言って威張っているのがあんただから。その他の約束も守ってくれなくてはいけないでしょ。 

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

この国のレベル

securedownload (478x640)
あーあ

    あーあ なんで、こんな河原にしちゃうんでしょうね。この間まで、葦が生えて、ヨシキリがの声が鳴き交わされていたのに。朝、橋の上からその姿を見るのが楽しみだったのに。一気にブルドーザで。しかも、ゲートボール場にするのか、時には、何にもしない場合も多く、予算の消化のためなんでしょうか?こういうことが多すぎる気がします。例えば、地域に親しまれている大木があったら、そこに住んでいる人に聞くってもんでしょう。 このブログの2015年7月の回に写真が載っている「ゴジラの木」も知らないうちに、切られてしまいました。(泣)
   以前にドイツのある町で、大きなビルが建つことになって。でも、そのビルが建つと、風の流れがかわって、あるいは強くなってしまうということで、住民との話し合いがもたれ、結果として、ビルのど真ん中に穴が開いている斬新な設計になりました、という話を読んだことがあります。かえって、そのビルがカッコよくなって、デザインってそういう過程を経ることなんじゃないかと思いました。そういう過程とはもちろん、民主主義です。だから民主主義を経ないデザイン(とまあ呼んだとして)はロシア構成主義もドイツの第三帝国国粋主義建築もなにやら似ているではないですか。そして、オリンピック関連の建築物や万博やどこかの国会議事堂も。ぜーんぜん、美しくない。
   この国の民主主義レベルと言ったら(と建築からいきなり議論の話しになりますが)最低。私と意見を異にするからではなく、議論にも何にもなっていないレベルです。つい最近の森友問題関連のことを指しています。首相の頭のレベルが低すぎます。国会議員も。こんなことを言うと、お前はどんなに頭がいいんだ、と言われそうですが、だって・・・
教育勅語は戦後の国会で否定されているわけですから(この際、内容はともかく)肯定する人は、その否決内容に対して反論しなければいけないでしょう。なのに「親孝行はすべきだ」とは((;´д`)トホホ  そして、議論を封じる。感情論。これが国会なんですよ。ほとほとこの国が恥ずかしいです。こんな議員、選んだ人がどうかしてます。とまあ、ここでほざいていても、知らないうちに、気が付くと周りは、その選んだ人ばかり、という世の中になるのかしら。照ノ富士に「モンゴルへ帰れ!」って叫んだ人が居たらしいですね。ほんと悲しい。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

「矜持」ってなんだろう

 border= 駅の座布団にも矜持


   「矜持」って何だろう。というのも最近つづけて「矜持」という言葉に出くわしたからで。一つは、日本(・・・)会議(・・・)の皆さんの「矜持」そう、「矜持」って「プライド」と言い換えられて、そうすると、やはり古来からの、大義をもっている方たちは、いろんなものに「矜持」を持ちながらものを考えることが多くなるらしい。例えば、「日本男児たるもの、この矜持を胸にもって生きてほしいもの・・」などというように。ところで、調べると矜恃という字もあって、少し意味が違うようです。私は、どっちがどっちかわかりませんが、「矜持」を「単なるプライド(自慢)ではなく社会的正義を念頭においた振る舞い」という意味でつかいたいと思います。もっとわかりやすく言えば「立場を利用してセコイことをしない」なんて。
  わかりやすい例が、テレビドラマで見られます。(これは珍しいこと)現在(2017年1月)
BSのNHKで放映している「刑事フォイル」では、サブタイトル―戦争下でも犯罪は許さない―というのですが、このサブタイトルでもわかるように「大きな戦争が起こっていたら、小さな泥棒(殺人)なんて多めに見てよ」という人間のけちな根性を、刑事フォイルがピシッと正すエピソードです。前回のストーリーでいうと、もっと細かい描写で、人間のせこ(・・・・)さ(・)
が描かれます。戦時食料統制下で没収したクリスマスのターキーを女性警官が、ほしくてほしくて、よだれを流しながら毎日みている場面(セコイというより、本当に食欲は抑えがたい本能でしょう)ですが、問題は、単なる食欲ではなく、法に基づいて没収した側が、職権を乱用していいのか、という問いかけです。また、フォイル刑事の部下が殺人の疑いをかけられ、あらゆる証拠が、それを立証しているように見えるときも、部下であるがゆえに便宜を図るということはありえない、のみならず、心の深奥では部下を信じているが故に、真実を論理的に開陳して見せる。-嗚呼、かっこいい! これ、日本のテレビドラマだと「(呼びかけ)~さん。僕はやってない。信じてください!」と大声で訴え、上司も「ああ、俺は信じているからな、お前が殺人なんてやるはずはない。 絶対信じて、待ってろよ。」みたいな、浪花節になるに決まっています。その辺は、脚本がいいのか、(脚本アンソニー・ホロビッツ:「名探偵ポアロ」の脚本も時々書いてますね)イギリスの国民性か(もちろん、イギリス国民がみんな高潔ではない、ということも描かれているわけですから)
  1月24日付け朝日新聞天声人語で、遠藤周作原作、マーチンスコセッシ監督が映画化した「沈黙」について話題にしています。最後に「転びバテレンの汚名に堪えたキアラが晩年まで胸に隠し続けた矜持に思いをはせた。」という文章があります。この場合の「矜持」とは、拷問に耐え(肉体的には耐えられなかったが)た精神、人(神)を裏切らなかった精神だと思われます。これは、きつい。どうも、現在の私には「おでんの卵は一個なら一個」程度にしておく他ありません。そのくらいなら。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

最新記事

最新コメント

カテゴリ


« 2017 08  »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。