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共感の強要

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2つの壁

最近、ビックリするのは、TVニュースに映し出された皇居の「一般参賀」の人の多さ、
や、(ちょっと古いけど)オリンピック選手の凱旋パレードでの観衆の多さ、その他、私の住む中くらいの地方都市だけれど、地元のサッカーチームの優勝パレードの盛り上がりなど・・・日本人って、こんなに熱くなる民族だったっけ???というか、この私が使った「民族」とか「日本人」という単語がキーワードになって、こんなに盛り上がれるんだ、という驚き。もっと、昔の人(4~50年前)の方がシラーっとしていたような気がするのだけれど。
というか、「人前で恥ずかしい」という意識があったような。

 そういうわけで、2020年のオリンピックについての盛り上がり(盛り上げ方)がすさまじい。あれだけ、TVで「感動」だの「夢」だの言われると、小学生などひとたまりもない。(大人でさえ)嫌な感じ。

 同じようなことで、最近の映画の盛り上がり方も、ものすごい「ボヘミアン・ラプソディ」がすごいらしい。共感を共有(冗語?)するんだそうで。政治や論理でないから「いいじゃん、盛り上がれば」という人もいるが、政治家や学者じゃないから、私たち国民がそういう道具にされやすいのでは?と思う。(盛り上がる)練習ができているから、そして、政治家は「国民の支持を頂いているので・・」といいように利用する。嫌だ。

ついでですが、「国民」で思い出したが、そのオリンピックに出るらしいスポーツ選手などが「国民の皆様の期待に応えられたかな・・」みたいな発言をインタビューでしていたが、なんで「国民」なんてお前に言われるんだよ、という気がする。選挙した覚えないし、けど、多分、その人の中では、もう全部の「国民」が自分を応援してくれるものと、思っているんでしょう。きっと、引退したら選挙にも出馬するんでしょう。その練習もしてるわけね。
オー嫌だ嫌だ。

 言っときますが、私はスポーツ大好き人間です。でもこの国のスポーツの在り方は
全部オリンピックを向いているの。違うと思う。-つづく

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[煮えたぎった鍋に・・」

双子 双子1.

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「煮えたぎった鍋に・・」「稀勢の里・・」「ゴーンの50億・・」
と言うのが、最近のニュースの話題だ。それぞれを話題にしている世代や層が違う。
NHKや朝日新聞が連日トップで報じているのが、「日産の元ゴーン会長が不正に所得を
隠していた。」あるいは「虚偽記載」や「私邸を購入」か知らないが、大変な問題のようだ。
もちろん大企業のコンプライアンスの問題であり、下請け企業への影響も大きく、そして
なにより今までなかったほどの金額が耳目を集めるから、当然のことではある。しかし、

  しかし、もっと大事な問題は「森友・加計問題」であり、国会での「暴挙」なのではあるまいか。「煮えたぎった鍋に授業印の顔を押し付け」は直接的な暴力で直近の避けるべきこと(自分がされるのも他人がされるのも)。それにくらべれば、国会の議論なんで「バカな話だ」「議員なんて甘いものよ」と高をくくったような発言で済ます人もいる。しかし、である。国会での暴挙(まともな議論をしないで、強行採決する)を許しているうちに、それは民主主義の破壊につながり、独裁を生み、独裁者の意にそわない人物は、「煮えたぎった鍋」どころか、(サウジアラビアの件にみられるように)「大使館だか領事館に入ったが最後殺されてしか出てこれなくなるのだ」(生きたまま、切断されたなんて、鍋と同様、それ以上の虐殺だ)
   日産ゴーン氏の所得隠しは、「所得隠し」と言いながら、50億は「見えている所得」というのもすごいが、「『引退後に残りの50億~80億をもらう』と公表すると社員の士気が下がるから黙っていた」なんてなかなかなリーダーぶりではないか。結局のところ、この会社はそれだけ稼いでいるので、まあ、儲かったお金の分け方についての内紛だと思われる。
 それに比べると、国家公務員の汚職は許されない。税金なのだから。ともかく、一番の問題は、何よりも首相であり国会であり「森友・加計問題」だ。
忘れたくない。

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「ものつくり」と簡単におっしゃいますが・・

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動き

 「ものつくり」は楽しいです。小学校・中学校でやった家庭科。雑巾を縫ったり、ブラウス、ワンピース、ゆかたも縫ったっけ。「工作」と言う時間もあって、(昔はというか昔の方が平等で、女子も工作の時間があった)本箱やちょっとした家の模型をつくって、電気線も引いて、こっちでスイッチをいれると灯りがともるようにもしましたっけ。本当に楽しかったけれど、知らないうちに、英・数・国の勉強に時間を費やすようになって・・「ものつくり」は縁遠いものになりました。
  大学で工学部へ行った人や、理系で研究室へ行った人は、「手」をつかった「ものつくり」の延長をやったかもしれません。(私は文系だったので全然)。生涯、趣味として洋裁や編み物をやり続けていらっしゃる方もいますね。

  空白期間を経て、この学校に関わってから20年「ものつくり」を教える学校に居て、授業計画を「つくる」立場になり、傍目で見ているうちに、「ものつくり」とは人間が外界を理解する第一歩なんだ、と思うようになりました。しかし、そんな抽象的な話で、また黙考してしまうのではなく、「ものつくり」とは、本当に「もの」を「つくり(終わらなければならない)」のです。さらに、機能性や快適性を備えることになれば、ことは段々難しいことになります。「もの」の本質としての一要素=材料とはなにか、が問われてきます。

  今年のショーで発表された作品のいくつかは、主な材料が新聞紙です。それで「服」を作ろうとしました。ここでは「服」は意味がないかもしれません。「服」としての保温性や「快適性」はほとんど問われていません。(課題としてかかってこない)ただ、単に「服」に見えるものをつくる、です。ですから形は「ロケット」でも「犬」でもテーマはよかったかも。「美」だけは残しています。ですから今年の課題は「新聞紙をつかって、美しい形をつくる。それを人が着て歩けるものでなければならない」ということだったでしょうか。

 ともかく、新聞紙と格闘して上記の条件をみたそうとしたわけです。結果は――まあ、ともかく。感想の中に(高校生から)「わざわざ生地をつかわなくても新聞紙で服がつくれるんですね」というものがありました。どういう意味?「新聞紙で」=「安い」「簡単」:縫ったりミシン使ったりしなくてよい:ということ?-いや、いや、いや。もし「安い」「簡単」だったら、なんで作るのよ?いや、逆に巷に「新聞服」があふれるはず。(ユニクロが作ってるでしょ)ですので、再度言いますが「服」を作ろうとしたのではありません。「美しい形」を作ろうとしたのです。たかが「新聞紙」で「美しい服」を作れるわけないじゃん!-とおっしゃいますか?いやいや材料に貴賤はありません。材料は材料にすぎません。そこから「美」を作り出せるかの実験なのです。
実は、学生は普段、布で服をつくっている人達なので、「服」に(感想を寄せた高校生以上に)とらわれているのは、この人たちなのです。発想を早く転換して、「材料がそもそも違うのだ」ということに気がつくのはいつか、という「手」と「頭」の競争を仕掛けたのです。
   結果は、普段から「手」に物を考えさせている人の勝ちでした。
   材料と重力の関係は「美」に大いに関係があります。-次回へつづく。

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平凡なる抵抗

M家の庭にて
M家の庭から

「ガザの美容室」

    という映画がある。アラブ・ナサール/タルザン・ナサールさんという双子の監督。パレスチナ自治区ガザに生きる女性たちの日常を描く。困難な状況(本当に!)にも動ぜず自分らしく生きる女性たちの抵抗。抵抗といっても、石を投げたりする抵抗ではなく、小さな美容室、の外で戦闘が起きても、女性たちはたわいのないおしゃべりに興じ、それでもおしゃれをし、メイクをやめない・・・という抵抗。-彼女たちは政治に無関心なわけではない。いや、無関心どころか、夫や子供が銃弾に傷つき、貧困や停電に苦しんでいる中でも、それを続けるにはそれなりの精神がいる。
    「おしゃれ」が勇気や抵抗になりうる、という話。以前に淡谷のり子さんのお話しで、
「戦争中に、銃後の人間が、おしゃれを楽しんだりするのは≪非国民」と言われた時代に、私(淡谷)は、毛皮のコートを着ていた。」そう。-毛皮のコート(本物)は現在なら、環境や動物愛護の観点から非国民になりそう、(私も反対)。けれど、その当時のその使い方は立派な抵抗。-私は、それこそ「おしゃれ」だと思うな。文脈が大事。
  ちょっと角度が違いますが、「黄金のアデーレー名画の帰還―」という映画もある。クリムトの“Woman in gold”という有名な画にまつわる実話が映画化されたものですが、ヘレン・ミレン扮するユダヤ人の主人公が、若き日にナチスの手から間一髪逃れる場面で、ウィーンの街中をビルの地下や屋上を走りながら隠れ逃げるのですが、屋上で洗濯ものを干している名前もしれない女性がいる。(多分、映画のクレジットにも名前が出るか出ないかくらいの出番)彼女は、主人公が洗濯ものの間をかいくぐりながら逃げ方たらいい方向を、無言で、さりげなく指示して教えてあげるのですが、その後を追ってくるナチスの兵らには、同じくさりげなく間違った方向を指し示すのです。-「おっしゃれー」やなーこういう人に私はなりたい。

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政治の問題にしたい

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M家のヤマボウシ

   「炎上しても言う『新幹線死傷、虐待殺人の容疑者らの生い立ちが知りたい』」という記事をネットで読みました。カンニング竹山という方が、「炎上する」覚悟で本音を書いたのでしょう。こんな程度で「炎上」ってするものなのか、よく知りませんが、この方の言わんとすることはよくわかります。この方は、「もどかしい、原因を知りたい」と思っているのです。そして「家庭環境が原因なら」本当に、「犯人が育った家庭環境をなんとかしたい」と思っているようです。だから、そういう子供の(候補者)がいたら自分が育ててもいい、とさえ言っているのです。あまりにナイーブで「炎上」する理由はないように思います。

 私は「無理」だと思います。子供を「育て直し」することもできないし、「そういう家庭環境」を無くすこともできない、と思います。
 もう一つ、6月20日配信の、同じ事件(6月9日 新幹線での無差別殺傷事件)を受けて、こちらは精神科医の片田さんという方の、犯人の心理分析です。「無差別殺人を考える際は、彼らにとってそれが一種の自殺であるという点を理解することが重要です」と述べています。他殺願望→自殺願望が逆転して自殺願望→他殺願望、になることもある。復讐願望が強いと、そしてその人に復讐できないと無差別殺人になることがある、と。

   こちらは学説らしく、私も納得するような、そして、こういうパターンの事件が増えていることも事実のような、気がします。でも、「親に復讐したい」←「家庭環境が悪い家庭が多い」←「では、俺が(竹山さんのような面倒見のいい方が)面倒みてやる」で、解決するのかは極めて疑問です。「家庭環境」や「殺したい(と子が思う)親」というのは
どういう「環境」「親」かは、なかなか決め難く、確かに、竹山さんは、「身近のAV嬢何人かに聞きました」を学者のように、実践して、かなりな確証をつかんだようではあります。私も、自分の育った周りの環境を見渡して、竹山さんと同じくらいの心証を得てはいます。
   悲惨な家族を多く目にします。「悲惨」の意味は、まず、貧しくて(親の代から、またその親の代からか)教育意識が低く(高すぎる場合も稀に)家族に病気の人が居て(自分の場合も)それが再生産されるような家庭です。新幹線殺傷事件の容疑者も「生きていて何もいいことがない」と言っています。胸がつぶされるような思いです。

    (ここからが、炎上です)不幸にも殺された方がいました。彼の行為は立派です(本当に)でも、みんなが「立派」と思ってくれます。立派な肩書、高徳な性質、幸せな家庭-突然に殺されることは理不尽ではありますが、死はたいてい理不尽です。「あんな」容疑者に殺されることこそが理不尽です。高徳な人が高徳な人に殺されることは少ないです。でも、この差がもう少し、小さくあったら、と思います。まず、経済格差です。つぎに教育格差です。病気などの弱者の救済策も要ります。すなわち、社会のありようを考える、そういう政治家がもっといたらな―と思います。


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プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

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