FC2ブログ

誰か教えて!

IMG_2672 (478x640)
木・木

   高校生のころは、同級生との会話を通じて、そして大学では政治学科と(ただし、そんなに勉学に勤しんだ口ではなくテキトーな大学生として)政治用語に触れてきた人間ですが、その中で「立憲主義」とか「民主主義」とかの基礎知識が与えられたと思っています。しかし、今、はなはだ疑問なのは、首相や官房長官が口にする言葉で、最近(3月15日現在)では「 我々(政治家側)は、選挙を通じて選ばれたのだから国民を代表している」だから「何であれ、自分たちの決定は正しい」というかのような。逆に、「マス・メディアは、一私企業にすぎない。」ということを臆面もなく発言されることです。民主主義について深い議論を今、ここでしたいのではなく、私の素朴な疑問は、彼らが、どこでそういう考えをお持ちになったのか、ということです。彼らとて、政治を専門にしているくらいの人間ですから、私以上に、政治について議論し、政治学の本も読んだでしょうに。「民主主義は多数決だ」と単純化してしまったり、「民主主義はマス・メディアの発達と歩を一にしている」という常識が、歴史的に見ればわかることですのに、J.S.ミル (多数者の専制とか、様々な人が論じている「大衆社会論」とか勉強しなかったのでしょうか。

それとも、私の勉強の仕方が、偏向していて(そんなに恣意的に先生を選んだわけでもないのですが)彼らと、決定的に真逆の教育を受けたのでしょうか。私は、基礎から間違ったと。私は地元の公立高校を経て、検定教科書を使って政治、倫理、社会を勉強してきたのですが、彼らは、どこの私立でどんな教科書(は検定のはず)・ 本を読んだのでしょうか。その本を私も一度、読んでみたいのですが、どなたか教えて頂けないでしょうか。想像するに「我が闘争」とか? 小学校は、森友学園とか(これは冗談) でも優秀な成績で高校、大学を過ごして来られたのですよね。
ミッテラン大統領時代の閣議では、時々、政治哲学が議論されるなどという新聞のコラムを、昔、目にしたことがありますが、その時は、どういう共通知識が土台になっていたのでしょうね。モンテスキューでしょうか、サルトルでしょうか。

     もう一つ、考えられるのは、彼ら(首相や官房長官)が受けた教育に原因があるのではなく、彼らは、自分の発言は民主主義に反するということを十分知っているのですが、一度、権力を得てしまうと、その居心地のよさ(周りの人々が忖度してくれる)から抜け出せず、どんな嘘でも出まかせでもいいので、「選挙に勝ち」、「勝ってしまえば官軍」という態度に出ている、というものです。「選挙に勝つ」のは、案外簡単で、ある程度の基礎票さえあれば、あとは「消費税をあげない」とか「働き方改革」とか言えば、世間の人(大ざっぱな言い方ですが)は、自分の利益のことしか考えないので、次々に甘言の罠に落ちるからです。やっぱ、そうなのでしょうか? 人間の性? 

スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

共感の強要つづき

IMG_2469 (640x478)
2つの壁


オリンピックのことを悪く言うばかりなのは、性格が悪いと思われるので、オリンピックのことを「良く」思おうとして、こんな記事を見つけました。「1月17付 朝日新聞 私の視点 持続可能な社会へ 東京五輪の重要な役割 アリソン・スメイル」
アリソンさんは国連事務次長 グローバルコミュニケーション担当の方で、東京オリンピックはSDGsの推進という意味で大変重要だと主張しています。

SDGsというのは「地球の環境を悪化させない。極度の貧困や飢餓に終止符を打ち・・・などの目標を30年までに達成するために、企業や市民社会、学会、エンターテイメントなどあらゆる影響力をもつ分野が力を合わせる(合わせて欲しい)ということだが、スポーツの力は、はずせない。「スポーツには、平和と開発を促す力がある」というわけだ。

 「国連が大会に合わせて計画しているのは、著名人や関係者が次々に集まってはSDGsについて短いトークを重ねるメディアゾーンの設置だ」というやり方だそうだ。
「こうしたストーリーの上に私たちが、地球の蔦嵩を確保するためにどのような、連携ができるかについて、もう一つのストーリーを重ねられないだろうか」と彼女は述べている。

 と、ここまで書き写してきて、うーん、やはり甘いかな・・と悲観的な私は思う。
SDGsが国際協調の枠組みだ、国際協調はオリンピックだ、という発想?「世界は一つ、東京オリンピック」というのはどこかで聞いたスローガンだが、そこから一歩も進んでいない。
SDGsは、本当に必要。「気候変動」「資源管理」「生物多様性」「人権・労働、公正な事業慣行等への配慮」「ジェンダー平等」などなど・・の課題に対して、待ったなしの状況にあるが、結局、このお金の使い方、賄賂の横行、ゼネコン、世界の大企業が儲かる仕組みこそオリンピックの本質と言うことを考えると、地に足のつかない、またぞろ「夢・理想」だけを
語る機会になる恐れが大いにある。「金」の数を数えるのをやめよう!というくらいのメディアがひとるでもいればなあ、少しは希望が見えてくるのだが。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

共感の強要

IMG_2581 (640x478)
2つの壁

最近、ビックリするのは、TVニュースに映し出された皇居の「一般参賀」の人の多さ、や、(ちょっと古いけど)オリンピック選手の凱旋パレードでの観衆の多さ、その他、私の住む中くらいの地方都市だけれど、地元のサッカーチームの優勝パレードの盛り上がりなど・・・日本人って、こんなに熱くなる民族だったっけ???というか、この私が使った「民族」とか「日本人」という単語がキーワードになって、こんなに盛り上がれるんだ、という驚き。もっと、昔の人(4~50年前)の方がシラーっとしていたような気がするのだけれど。というか、「人前で恥ずかしい」という意識があったような。

 そういうわけで、2020年のオリンピックについての盛り上がり(盛り上げ方)がすさまじい。あれだけ、TVで「感動」だの「夢」だの言われると、小学生などひとたまりもない。(大人でさえ)嫌な感じ。

 同じようなことで、最近の映画の盛り上がり方も、ものすごい「ボヘミアン・ラプソディ」がすごいらしい。共感を共有(冗語?)するんだそうで。政治や論理でないから「いいじゃん、盛り上がれば」という人もいるが、政治家や学者じゃないから、私たち国民がそういう道具にされやすいのでは?と思う。(盛り上がる)練習ができているから、そして、政治家は「国民の支持を頂いているので・・」といいように利用する。嫌だ。

ついでですが、「国民」で思い出したが、そのオリンピックに出るらしいスポーツ選手などが「国民の皆様の期待に応えられたかな・・」みたいな発言をインタビューでしていたが、なんで「国民」なんてお前に言われるんだよ、という気がする。選挙した覚えないし、けど、多分、その人の中では、もう全部の「国民」が自分を応援してくれるものと、思っているんでしょう。きっと、引退したら選挙にも出馬するんでしょう。その練習もしてるわけね。オー嫌だ嫌だ。

 言っときますが、私はスポーツ大好き人間です。でもこの国のスポーツの在り方は
全部オリンピックを向いているの。違うと思う。-つづく

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

[煮えたぎった鍋に・・」

双子 双子1.

双子2双子2

「煮えたぎった鍋に・・」「稀勢の里・・」「ゴーンの50億・・」
と言うのが、最近のニュースの話題だ。それぞれを話題にしている世代や層が違う。
NHKや朝日新聞が連日トップで報じているのが、「日産の元ゴーン会長が不正に所得を
隠していた。」あるいは「虚偽記載」や「私邸を購入」か知らないが、大変な問題のようだ。
もちろん大企業のコンプライアンスの問題であり、下請け企業への影響も大きく、そして
なにより今までなかったほどの金額が耳目を集めるから、当然のことではある。しかし、

  しかし、もっと大事な問題は「森友・加計問題」であり、国会での「暴挙」なのではあるまいか。「煮えたぎった鍋に授業印の顔を押し付け」は直接的な暴力で直近の避けるべきこと(自分がされるのも他人がされるのも)。それにくらべれば、国会の議論なんで「バカな話だ」「議員なんて甘いものよ」と高をくくったような発言で済ます人もいる。しかし、である。国会での暴挙(まともな議論をしないで、強行採決する)を許しているうちに、それは民主主義の破壊につながり、独裁を生み、独裁者の意にそわない人物は、「煮えたぎった鍋」どころか、(サウジアラビアの件にみられるように)「大使館だか領事館に入ったが最後殺されてしか出てこれなくなるのだ」(生きたまま、切断されたなんて、鍋と同様、それ以上の虐殺だ)
   日産ゴーン氏の所得隠しは、「所得隠し」と言いながら、50億は「見えている所得」というのもすごいが、「『引退後に残りの50億~80億をもらう』と公表すると社員の士気が下がるから黙っていた」なんてなかなかなリーダーぶりではないか。結局のところ、この会社はそれだけ稼いでいるので、まあ、儲かったお金の分け方についての内紛だと思われる。
 それに比べると、国家公務員の汚職は許されない。税金なのだから。ともかく、一番の問題は、何よりも首相であり国会であり「森友・加計問題」だ。
忘れたくない。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

「ものつくり」と簡単におっしゃいますが・・

P1010049 (640x480)
動き

 「ものつくり」は楽しいです。小学校・中学校でやった家庭科。雑巾を縫ったり、ブラウス、ワンピース、ゆかたも縫ったっけ。「工作」と言う時間もあって、(昔はというか昔の方が平等で、女子も工作の時間があった)本箱やちょっとした家の模型をつくって、電気線も引いて、こっちでスイッチをいれると灯りがともるようにもしましたっけ。本当に楽しかったけれど、知らないうちに、英・数・国の勉強に時間を費やすようになって・・「ものつくり」は縁遠いものになりました。
  大学で工学部へ行った人や、理系で研究室へ行った人は、「手」をつかった「ものつくり」の延長をやったかもしれません。(私は文系だったので全然)。生涯、趣味として洋裁や編み物をやり続けていらっしゃる方もいますね。

  空白期間を経て、この学校に関わってから20年「ものつくり」を教える学校に居て、授業計画を「つくる」立場になり、傍目で見ているうちに、「ものつくり」とは人間が外界を理解する第一歩なんだ、と思うようになりました。しかし、そんな抽象的な話で、また黙考してしまうのではなく、「ものつくり」とは、本当に「もの」を「つくり(終わらなければならない)」のです。さらに、機能性や快適性を備えることになれば、ことは段々難しいことになります。「もの」の本質としての一要素=材料とはなにか、が問われてきます。

  今年のショーで発表された作品のいくつかは、主な材料が新聞紙です。それで「服」を作ろうとしました。ここでは「服」は意味がないかもしれません。「服」としての保温性や「快適性」はほとんど問われていません。(課題としてかかってこない)ただ、単に「服」に見えるものをつくる、です。ですから形は「ロケット」でも「犬」でもテーマはよかったかも。「美」だけは残しています。ですから今年の課題は「新聞紙をつかって、美しい形をつくる。それを人が着て歩けるものでなければならない」ということだったでしょうか。

 ともかく、新聞紙と格闘して上記の条件をみたそうとしたわけです。結果は――まあ、ともかく。感想の中に(高校生から)「わざわざ生地をつかわなくても新聞紙で服がつくれるんですね」というものがありました。どういう意味?「新聞紙で」=「安い」「簡単」:縫ったりミシン使ったりしなくてよい:ということ?-いや、いや、いや。もし「安い」「簡単」だったら、なんで作るのよ?いや、逆に巷に「新聞服」があふれるはず。(ユニクロが作ってるでしょ)ですので、再度言いますが「服」を作ろうとしたのではありません。「美しい形」を作ろうとしたのです。たかが「新聞紙」で「美しい服」を作れるわけないじゃん!-とおっしゃいますか?いやいや材料に貴賤はありません。材料は材料にすぎません。そこから「美」を作り出せるかの実験なのです。
実は、学生は普段、布で服をつくっている人達なので、「服」に(感想を寄せた高校生以上に)とらわれているのは、この人たちなのです。発想を早く転換して、「材料がそもそも違うのだ」ということに気がつくのはいつか、という「手」と「頭」の競争を仕掛けたのです。
   結果は、普段から「手」に物を考えさせている人の勝ちでした。
   材料と重力の関係は「美」に大いに関係があります。-次回へつづく。

  1. 未分類
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

Ali  Batoota 

Author:Ali Batoota 
アリ バトゥータ
年齢・性別・国籍-不詳
関心事は、ファッション、政治、教育、言葉、生物、映画-なんでも

but,I have my own opinion.

最新記事

最新コメント

カテゴリ


« 2019 03  »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR